2008年12月15日月曜日

7期が修了しました

丸の内「西岡塾」の7期が13、14日両日、横浜のオンワード総合研究所における合宿での卒塾論文発表会で修了した。
その1日目の13日(土)には塾生たちのグループによる卒論作成の仕上げの討議の合間を縫って、「ミドル如何にいくべきか」をテーマにパネルディスカッションを行い、その後、懇親パーティをひらいた。
パネルディスカッションではゲストに松井証券社長、渡辺東海バネ工業社長、樋口天彦産業社長、松田ユニゾンキャピタル・パートナー(元みずほ証券副社長)や過去の卒塾生たちが加わり、23名の卒塾生が熱い議論を展開した。
「ミドルは会社を動かせるのか」、「経営者に出来ないミドルの役割」、「出世は目的か手段か?」などなど塾生たちのプレゼンにフロワ―から辛辣な質問、反論、温かいアドバイスが飛んだ。2時間の予定が3時間弱に及び、そのあと行われた懇親会までゲストを交えて熱い議論が続いた。
翌14日は朝から卒塾のための卒論発表会。審査委員には塾長の私に加え、一橋大ICSの竹内弘高学科長、小林三郎同客員教授(ホンダでエアバッグ開発に成功した元経企室長)、渡辺社長、松田副塾長が加わった。4、5人ずつに分かれた5グループによるプレゼンテーションが行われたが、西岡塾では知識ではなく感性の鍛錬に重きを置かれるので、日頃から「プレゼンでは姿勢、表情、目線、声の大きさや高さ、話す速度、間の取り方にも注意」という教育もしてきたが、昨日のみんなのプレゼンは素晴らしかった。
ここでも審査委員や塾生を送り込む各社のゲストが真剣な質疑、アドバイスを展開し充実をした発表会を終えることが出来た。関与頂いた諸兄に深謝します。
その後のパーティでは各自が思いのたけの感想や将来の抱負を述べ最後は肩を抱き合って別れを惜しんだ。塾長としてもみんなの寄せ書きを贈られ、ジーンと目に涙がにじんだ。こういう感激を毎期、毎期味わえるとは、毎週金曜日に頑張ってきて本当に良かったと思う。
塾生のみなさん、一緒に頑張ってこられて良かったね。来期が始まっても卒塾生としていつでも塾に遊びに来て下さい。ありがとう。

2008年12月5日金曜日

東海バネ工業のポーター賞受賞記念講演会を開きました

西岡塾の講師をして頂いている渡辺良機社長がついに快挙を達成しました。
12月4日にホテル・オークラで開かれた授賞式では渡辺社長がハーバード大学教授で戦略論の第一人者であるマイケル・E・ポーターから「独自性のある優れた戦略を実行して高い収益性を達成・維持している」と栄えある賞を受賞されたのです。詳細は以下のポーター賞HPを参照してください。
http://www.porterprize.org/porterprize.html
C042160.JPG(ポーターから受賞する渡辺社長の晴れ姿です)

そこで、西岡塾では同日の夕刻から「東海バネ工業のポーター賞受賞記念講演会」を六本木ミッドタウンで開催しました。
まず、ポーター賞の記念品である“out of box”のflagを持って入場する渡辺社長ご夫妻を拍手で迎えたあと、西岡から趣旨説明、渡辺社長ご挨拶、JVC-ケンウッド河原CEOの乾杯と続いて約一時間のお祝いパーティーのあと、いよいよ
一橋大学ICS藤川先生の「東海バネのケーススタディ」に進み、現役塾生だけでなく卒塾生や飛び入りの人たちも入り乱れて熱い議論が展開されました。その議論に渡辺社長が生で答えるという、藤川先生に言わせると「本人を交えて会社の戦略を研究する最も贅沢なケーススタディ」を堪能しました。
その後は西岡が引き継ぎ、常盤 花王元社長、河原JVC-K会長というこれまた贅沢なパネリストで「東海バネの強さの秘密を考える」というパネルをやりました。理論的、学問的な戦略解剖に渡辺社長の人間臭い「部下への思い」が絡んで大変興味深いパネルとなりました。参加者のみなさんの熱いパッションが会場を盛り上げました。
お忙しい中駆け付けて頂いた常盤さん、河原さんに心から御礼を申し上げます。


PC042563.JPG
(前列椅子に腰かけて人たちが、右から藤川、河原、常盤、渡辺ご夫妻、西岡)

2008年11月5日水曜日

東海バネ工業がマイケル・ポーター賞受賞

ポ―ター賞は、独自性がある優れた戦略を実行し、その結果として高い収益性を達成・維持している企業を表彰するため、2001年7月に創設され、今年で第八回目を迎えます。賞の名前は競争戦略論の第一人者であるハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授に由来しています。(http://www.porterprize.org/

とマイケル・ポーター賞の公式HPが紹介するこの大きな賞に東海バネの受賞が決まった。
渡辺良機社長、社員のみなさま、大変おめでとうございます。

東海バネさんのことについて講演やブログなど折にふれてお伝えしてきた。
たとえば、昨年の日経ビジネスオンライン(NBonline)一周年記念行事での花王元会長の常盤文克さんとの対談でも新日本型経営としてご紹介している。
[社員が燃える新日本的経営(その1) (NBonline「経営新世紀」 2007/06/29)]

その常盤さんも東海バネにご一緒に視察に言って頂いたし、東大の伊藤元重教授(経済学)、元東大教授で現在は丸の内ブランド塾を主宰しておられる片平秀貴先生(ブランド戦略)、神戸大の金井壽宏先生(経営学)、一橋大の藤川佳則 准教授(国際企業戦略)もご案内してみなさんが高くご評価頂いたものだ。自分の家内などは一緒に工場見学をさせて頂いた直後に感想を聞いたら、「職人さんたちの眼が光っておられますね」と答えた。
この会社の「多品種微量生産」に拘るビジネスモデルが優れていることは上の先生方をはじめ多くの識者が高く評価されていることである。そこで、ここでは敢えてその点には触れず一言だけ、「渡辺良機社長の人間力」に触れてみたい。
大阪市の「IT西岡塾」で関与させて頂いて、その成果としてIT百選最優秀賞を受賞されたことも好例だが、渡辺社長の特徴は一つの成果をより大きな成果へどんどんステップアップされることであろう。それは渡辺良機さんの人間力がなせる技なのだ。証拠がある。厳しい労働に明け暮れる職人さんたちの眼が輝いていることだ。社長の人間力が社員の表情に正直に現れる。

2008年10月2日木曜日

夫婦喧嘩でもしたの?

先日、ある大企業にベンチャーを連れて行った。お2人がお相手をして頂いた。表題はその時のお一人への率直な感想である。
ベンチャーが一生懸命に、最初の下らないビデオでの紹介はさておいて、全体としてなかなか上出来のプレゼンを行った。
ところが、難儀なことには担当責任者と思われる人が全然興味を示さない。
プレゼンを聞く態度が初めから後ろ向きで、終始、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだ。髭のソリ後も涼やかな清潔そうな男なのだが惜しいことに表情が暗い。夫婦喧嘩でもしてきたような表情である。
余りのことに、プレゼンが終わってから、「如何ですか?」と顔を正面から見据えて聞いてみたところ、「プレゼンがよく分からなかったのだが、つまりxxxとyyyという二つの提案ですか?」という的外れの答えというか疑問が返ってきた。こりゃあんまりだ。とくにyyyなど触れても居ない。懸命にやっているベンチャーが可哀想ではないか。
丸の内「西岡塾」に引き立てて塾生として叩き直してやりたいと思った。

みなさん、顔は持って生まれてきたものだから代えられない。しかし、表情は自分で自在に変えられるのですよ。そして人に与える印象は表情が決め手なのです。悲しそうな表情、興味の無さそうな表情、ムカっと怒っている表情、眠たそうな表情、活き活きとした表情、嬉しそうな表情、、、、
こういう表情は自分で制御できるのだ。上司から見たら、興味の無さそうな表情をしている部下に仕事を与える気がしないよ。そりゃ有難い。仕事など欲しくないという人はこのブログを読む必要はない。部下から見たら、いつもムカっと怒っている表情、眠たそうな表情の上司の下でなど働きたくもないではないか。
この重要な表情が自分次第だと言うことをもう一度思い返して下さい。そして、活き活きとした表情を意識して作りましょう。

2008年9月29日月曜日

標準化はやはり重要ですね-2

さて、前回の問題を考えてくれましたか?
ダイナースカードに問い合わせました。電話に出た担当者に先の事情を説明すると、「その質問は時々頂きます。ちょっとお待ち下さい」と間隔があって、ECサイトによっても対応が変わりますので今からご説明します方法をやって見て頂けませんか?ということであった。勿論了解して、説明を聞きながらその通りやってみた。
2ケタ分足らないので、
① 0を14ケタの前に1ケタ、後に1ケタ入れて下さい: → 失敗
② では、0を中6桁の前に1ケタ、後に1ケタ入れて下さい:
つまり、1234 0567 8900 3456: → 失敗
そうですか、ちょっとお待ち下さい。沈黙。
③ 0を中6ケタの前に2ケタ入れて下さい: → 失敗
④ 0を中6ケタの後に2ケタ入れてみて下さい: → 失敗
もう一度お待ち下さい。沈黙。
⑤ 前詰めで14ケタ入れて、後の2ケタを無視して下さい: → 成功

そう、成功しました。実は最も原始的な方法だったんです。なるほどー!
電話に出た担当者は「本件を上に報告しておきます」と丁寧に謝った。彼女に責任はないので礼を言って電話を切ったが、ダイナースカードはなんで14ケタに固執し続けているのかなー?
やっぱり世の中の標準に合わせるのは大切ですよね!

2008年9月25日木曜日

標準化はやはり重要ですね

使っているクレジット会社にダイナースクラブを加えたのですが、ダイナースは会員番号が14ケタなんですね。普通は4ケタx4の16ケタでしょう。
それで問題が発生しました。インターネットで決済をする時に14ケタでは受け付けてもらえないのですよ。当然ながら。
たとえば、普通のクレジット会社の会員番号は16ケタですから
1234 5678 9012 3456
だとするでしょう。これがダイナースはたとえば、
1234 567890 3456
のように4ケタ、6桁、4ケタの計14桁なんですよ。
ECサイトでクレジット決済をしようとすると、
    -    -    -    
と4ケタずつ16ケタの番号入力を求めて来ますよね。
さて、ダイナースのカードを持ってハタと思案をしました。
どうしたらいいのでしょう?
貴方ならどうするか、教えて下さい。
僕が調べ上げた答えは次回に譲ります。

2008年9月17日水曜日

モバイル文化研究会

この度、私が呼び掛け人になってモバイル文化研究会を立ち上げた。会の趣旨は携帯電話を中心とするモバイル文化のグランドデザインを作るための研究をしようと言うものである。

携帯電話はすでに無くてはならない道具になっている。電話、メールはもとよりインターネットへのアクセスはPCからよりも携帯電話からの方が急速に普及している。当初はあんな小さな画面では面白くないと信じられていたのに、ワンセグでTVが見られるようになり、漫画や動画までもが携帯電話で楽しまれている。しかし、電車の改札や飛行機への予約からチェックインまでが携帯電話一つでOKというような社会になると、この後どうなるの? 社会的な抵抗力や判断力が未発達な子供たちに、有害な情報やサービスがいとも簡単に忍び寄るのを保護者は認識も出来ない状態を社会は放置していていいのだろうか?
という懸念がどんどん顕在化している。一体、子供たちは有害と思しきサイトにどの程度アクセスしているのだろう? どんな危険が待ち受けているのか?

この他にも、携帯電話にまつわる頭痛の種は尽きない。先日も、電車の優先座席に掛けていたら隣の中年の婦人が携帯でメールをしている。窓に張ってある注意書きを指差しながら「電源は切りましょう」と声を掛けたら、「あ、済みません」と言って素直に電源を切ってくれた。良かった―! ところが、直後に次の駅から乗り込んで来た学生がドカッと腰かけて携帯電話でメールを始めたではないか。先のご婦人に注意した以上、不公平には出来ないので、同様に注意した。せざるを得ないではないか。この学生はブッとした表情で場所を変えた。良かったー! で、考えた。この調子だと次の駅でも、その次の駅でも注意し続けなければならない。その内、ブスッと刺されるかも知れないではないか。なんで自分が車掌の代理をしなければならないのだろう。参ったなー!と途中の駅で降りてしまった。これからは見て見ぬ振りの権兵衛を決め込むしかないなーと、もう諦めの心境だ。だから65歳になった現在は、優先座席から遠ざかることにしている。万一、優先座席で携帯電話による医療事故が発生したときの「優先座席では携帯電話の電源を切って頂くよう注意をし続けております」という電鉄会社の責任回避のエクスキューズの犠牲者になるのはもう御免だ。「優先座席で携帯電話の電源を切らないと本当にペースメーカに有害なのか」に関しては関係者がみんな口を閉ざしている。真実はどうなのか?

こういう問題を分析し、将来への備えをシステムとして確立するために最も重要なことは事実を知ると言うことである。特に、現状では子供たちの携帯電話からのインターネットアクセスに関しては事実を知る手掛かりが無い。「あなたはどんなサイトにアクセスしていますか?」というインタビューをしても母親経由では事実は母親自身が知らないのだから意味がない。学校で調査をすれば事実を答えないであろうし、駅前でビラを配ってインタビューをするのも手間ばかり掛って実効性が無い。その点、パソコンからのインターネットアクセスの場合は本人の了解のもとに、いわゆる視聴率調査が可能であるが、携帯電話の場合は「電気通信事業法」の第4条(秘密の保護)に:
電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。
2.「電気通信事業に従事する者は、在職中電気通信事業者の取扱中に係る通信に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。
という規定があってワイヤレスキャリア各社は視聴率調査に後ろ向きである。
しかし、パソコンの視聴率調査を見れば明らかなとおり、利用者自身の了解のもとに個人としてではなく一個のデータとしてのアクセス調査は社会のコンセンサスを得ているのだ。住所がどこそこの何の誰兵衛という個人情報は調査にはそもそも必要が無い。何十万人の子供たちの内の何万人が一日に平均何十回どんなサイトにそれぞれアクセスしているかという、しかも利用者自身の了解を得た調査が社会の将来を見通すための研究には必須なのだ。

モバイル文化研究会には呼び掛けに応じて、日本コカコーラ、花王、資生堂などの広告主グループ、DeNA、ニフティ、NTTレゾナントなどのネット系、ネットレイティングやマクロミルなどの調査系に慶応大学の国領教授、一橋大の米倉教授、携帯電話を持つ子供の母親といして田澤由利さんと尾花紀子さんにご参加頂いた。すでにユーザー分科会の熱い議論が始まっている。

2008年8月1日金曜日

公衆マナー

定められた公衆マナーが全然守られていない2つの例について考える。
その1.電車の「優先座席では携帯電話の電源をお切り下さい」とアナウンスが繰り返されるし、窓には電源OFFのマークが張られている。オマケに吊皮がオレンジに塗られて電源OFFのマークがあるが、優先席に座る大多数の乗客は全く悪気もなく、携帯電話を使い続けている。この様子を見ていると「優先座席では携帯電話の電源をお切り下さい」という警告は何事が起った時の電鉄会社のエクスキューズに過ぎないことがハッキリする。本当に守らなければならないルールなら、一週間くらい連日乗務員を巡回させて、「優先座席では携帯電話の電源をお切り下さい」と呼び掛けるべきだろう。及び腰の電鉄会社とそれを馬鹿にする乗客の構図は、それを毎日目にしている小学生や中学生に「公衆マナーは守らなくてもいいよ」と毎日教育しているようなものではないだろうか。長い目で見れば実に悪い教育である。
その2.私は通勤に京王井の頭線と都営銀座線を使っている。銀座線の渋谷駅の朝の満員時には3列縦隊に整列して乗車する「整列乗車」が指導され、よく守られている。次の次の列車を待つ乗客たちはその右に3列で並ぶ。狭い構内を有効、安全に使う当然の処置であるが、これが守られるのは乗客たちの自発的なマナーの良さだけではない。駅員たちが繰り返し「整列乗車」をアナウンスし、体を張って割り込み乗車を防ぐなどの日々の努力が乗客のマナーを育ててきたのだ。
一方、井の頭線渋谷駅の帰宅時は同様に狭い構内にこっちは2列の待ち行列が並ぶ。足元には3列の表示があるし、「3列に並んでお待ちください」と言うアナウンスもあるが、みんなが2列なので後ろから来た人が3列目を作るとズルになるので、止むなくみんなが2列に並ぶ。帰宅時は2列の長い列が反対側の方にも伸び危険ですらある。しかし、ホームで整理に当たる駅員たちは見て見ぬふりを決め込んでいる。帽子に金色の帯が付いている助役さんも知らぬ風である。だから、マナーが一向に改まらない。
これは乗客のせいではない。何故なら同じ渋谷で乗り換える乗客たちが銀座線ではキッチリとルールを守っているのだ。

2008年7月31日木曜日

グラスワイン一杯3万円

赤坂の大評判のパン屋さんの階上にあるカフェというのかレストランなのか、とにかく、あのロマネコンティを一杯3万円で飲ませると言う。
一杯3万円じゃなかなか売れなくれ、飲み残しが大問題じゃないですか?と野暮な質問をすると、「大体1週間で一本開きますから」と平然としたものだ。技術的には1年間は質が低下しない工夫が出来ていると胸を張る。
ロマネコンティと言うと面白い経験がある。インテル時代に上場で大金持ちになった人が「西岡さん、ロマネコンティを飲みにおいで」とオフィスに誘って頂いたので、高校の先輩の有名N教授と二人で飲みに行った。
素晴らしいオフィスで彼が振る舞ってくれたのがロマネコンティのプレミアム物(ワインの分からぬ当方は年代も憶えていない)とそれよりはちょっと若いのとオーパスワンの3本でビンテージや詳細は何にも憶えていないが、オークションで競り落とした値段が計200万円だったそうな。
ワインの分からぬ僕でも「とにかく、美味しい」ことは分かりました。ところがN教授は大のワイン通で、「旨い! 西岡君、君はワインが分からんと言ってたね。これ勿体ないから飲むな」だって。一年でも先輩は絶対だから「君は飲まずに俺に飲ませろ」って言うんですよ。貴方ならどうします?
もちろん、僕は同じだけ楽しみました。

ちゃりんこににけつ?

「ちゃんりんこに2ケツ」していて転んで大ケガをしたと可愛い女子学生が言っていた。「ちゃんりんこに2ケツ」とは、つまり自転車に二人乗りと言う意味である。
昔、シャープの研究所長として新設研究所の設計図の説明を受けていた時、建設会社の人から「女性トイレは4ケツにしようと思いますが、5ケツ要りますか?」と言われたことがある。「5ケツ? 表現が悪いねー!」と想像力を働かせて驚いたら、「ケツは穴です。お尻のケツではありません」と教えられたことがある。そりゃそうだろうよ。
しかし、女子高生の2ケツは自転車に乗っている二つのお尻のことでしょうね。
もう相当以前からTシャツやパンツといった衣類は当然ながら、日本語のユニセックス化が進んでいる。
僕が始めて経験したのは女子高に通う従妹の体育会に家族で行った時だから40年も前である。女子高生たちが「おーい、お前ー」と呼び合っているのを聞いてゾッとしたのが最初の経験だ。
考えてみれば日本語のように男性語と女性語の区別のある言語は世界でも少ないだろう。アメリカでは美しい女性が平然とビックマックにかぶりつきながらguysを連発しているが、日本の女性たちにも遅まきながら超スピードで後を追いかけている人たちがいる。満員電車の化粧は言い尽くされたが、しかし、言い尽しても言い尽くしてもやっぱり「馬鹿!」と心の中で叫んでいるのだが、一方、綺麗に化粧を済ませた女性が朝の満員電車でサンドイッチやおにぎりに文字通りカブリ付いている。

2008年7月14日月曜日

こんなのアンフェア-だよ!

最近はネットからいろいろ簡単に購入できたり予約できたりと便利なことはこの上もない。しかし、一旦申し込んだ予約をキャンセルする仕組みが組み込まれていないサイトがあって困り果てることがある。こんなのはフェアじゃないですね。
おびき寄せて申し込むのはネットで便利にしておいてキャンセルしようにも仕組みを組み込まないのは意図的な悪意さえも感じられますね。
先日も、海外のレッキとした航空会社のサイトからのフライトの予約に際して、キャンセルポリシ-も確認して予約をしたのだが、その翌日、いろいろ検討の結果、別ルートがベターだと分かってキャンセルをしようとするとネットでは方法がない。
サービス窓口の電話番号だけは書いてあるので電話をしても、ずっと話し中で手の施しようもない。キャンセル成立が遅れるとクレジットで引かれたお金が返って来なくなるのだから電話がずっと話し中なのは悪意のある作戦ではないかとさえ思ってしまう。サイトをいろいろ調べて「All about us」をクリックし、「Contact us」から出てきたContact Formにキャンセル情報を書き込んで送信したところ翌日になって次のような返信が届いた:
Dear All,
Thank you for contacting us.
We would like to inform you that, indeed, there is no way to amend or cancel a booking through our website, but only through our Call Center department which operates daily 0700-2300 local time or by mail at this address.
このように申し込みはネットで簡単だがキャンセルを難しく仕組んであることを自分たちで認めているではないか。しかも電話はやっぱりずっと話し中だった。
最終的には返信メールアドレスにメールして、やっとのことでキャンセルは出来たのだがレッキとした航空会社のHPでもこの様である。意図的にキャンセルを不便にしてあると考えざるを得ない。
会員申し込みでもそうですよ。軽い気持ちで一旦会員になると退会するのがとっても難しいサイトは山とある。携帯電話のサイトもその典型が多いですね。
こういうことも消費者が声を出して見張らないとダメですね。

2008年6月27日金曜日

e-womanの佐々木かをりさんの対談に

西岡の昔の仲間が登場しました。田澤由利さんは僕がシャープのコンピュータ事業部長だったときにパソコンの企画部員として大活躍してくれた人です。
その後、結婚して北海道の北見に定住し、社員10数名と130名のテレワーカーを組織するベンチャーの社長として大活躍しています。
佐々木かをりさんはe-womanとユニカル・インターナショナルの社長を務めるかたわらでフジテレビの「とくダネ!」のコメンテーターとしても活躍されていますので、みなさんよくご存じだと思います。
佐々木さんが毎年夏に開催される国際女性ビジネス会議では第2回目に基調講演をやらせて頂いたり、田澤さんと同じ対談にも登場したことがあります。
今回の対談では起業家として母として妻として獅子奮迅の大活躍をされる田澤由利さんのビジネス・パーソンとしてのHistoryに佐々木さんがきりこみます。お二人の出会いや田澤さんのキャリア・デベロップメントの中で西岡が何度も登場させてもらっています。
こっぱずかしいことですが、嬉しいことです。ご紹介します。
http://www.ewoman.co.jp/winwin/121ty_second/index.html

2008年6月11日水曜日

香港事情

先週は1泊で香港に出張した。6月中旬の今、気温が30度を超える。しかし、寒い。街中はもちろん湿気も高くて暑いのだが、この国は至るところ冷房が効き過ぎている。まず、空港から乗ったエアポートエクスプレスの座席では足元からさっと襲い掛かる冷気に思わず「寒―!」と手に持っていた上着を膝に掛けた。街へ着くと街は暑い、なにしろ30度を超えているのだから。なのに、ホテルもショッピング街も、建物の中に入ると、とにかく寒い。ミーティングルームで2時間会議をしたがメッチャ寒かった。
そう言えば、インテル時代にアメリカ本社に出張で行くと冷房がキンキンに効いていて本当に寒かったものだ。そんな部屋で終日会議をするわけだから日本人にはたまったもんじゃないが、あちらの人たちは平気で、半袖のポロシャツで寒そうな顔一つしないのだ。
しかし、そんな風に寒さに強いのは自慢にならない。冷房による寒さに強いなんて愚の骨頂である。適度を超えた冷し過ぎを止めようとの声が何故大きくならないのだろう。
しかし、香港のエアポートエクスプレスは清潔で便利だ。成田空港からのJRエクスプレスは恥ずかしいですね。

2008年4月14日月曜日

電話のマナーを二つ

みなさん、携帯電話でお話するときは、もうちょっと声を落して、多少はひそひそ気味に喋りませんか?
そもそも携帯電話はいろいろの理由で相手の声が聞きにくいことが多い。
我々の声だけを拾うべきマイクが、周囲の雑音も拾ってスピーカーから聞こえるので、肝心の相手の声が相対的に聞こえにくいという技術的な問題もある。むかし、雑踏で公衆電話を掛けるときには受話器の口元を手でふさいで周辺の雑音を拾わないようにしていましたね。受話器を当てない耳を塞ぐよりもずっと効果的でしたね。あの現象です。小さな携帯電話ではマイクが遮蔽出来ずに余計に雑音を拾って自分の耳に入ってしまうのです。

そして、相手の声が聞こえにくいと我々はついつい自分が大きな声で話すことになります。街中で携帯電話にペコペコ頭を下げながら声高に言い訳をいったり、部下を叱ったり、ゲラゲラ笑いながら頭を掻いたり、無作法だし、迷惑だし、恥ずかしいですねー! みんなでちょっと気を付けませんか。

もう一つは携帯電話に限らない電話の基本的なマナーの話です。
電話で話していて、要件が終わると直ちにガチャっと電話を切る人が多いですね。失礼ですねー!これは。
単に失礼なだけではなくて、要件が終わろうとする瞬間に「あっ、そうそう、もう一つお話がー、、、」と言いだしたとたんに相手は気付かずに「ガチャン」と切ってしまうことがあります。
このブログを読んで頂いている方々もちょっと振り返って見てください。
「だって、話が終わったら電話を切るのは当然」と思いますか?
私は電話を切るにもマナーがあると思います。
小学生時代だったと思いますが、私の家に初めて電話が付いたとき、「相手の人が電話を切ってガチャンという音を聞いてから自分も受話器を置きなさい。それが電話を使うときの作法です」と母親に教えられました。それ以来60年間、そうしています。いまでも相手が電話を切るのを聞いてからこちらも電話を切るようにしています。
もっとも私もすでに65歳、ほとんどの相手が年下になります。そして多くの人は敬意を払って私が切るまで電話の向こうで待って頂いているようです。ありがとうございます。だから滅多にはありませんが、偶にはあります。いつもそうする人は決まっているようです。人柄が表れますよね。

2008年4月11日金曜日

アレキサンダー大王とEngineering

一昨夜、BSのHistory Channelで"Engineering an Empire”というテレビを偶然見ていてびっくりした。まず紀元前に大帝国を作ったアレキサンダー大王を語る題目に“Engineering”という言葉があるのに大いなる興味をもってしまったのだ。当方もDr, of Engineeringつまり工学博士の端くれなので「アレキサンダーとEngineering」という取り合わせが気になったというか、引っ掛かったのである。
高校時代に世界史を選択しなかった自分にとってアレキサンダー大王に関する知識は
① マケドニアから発してギリシャを征服した
② ギリシア軍を率いて東方に遠征し、ペルシャ、エジプトを征服後インドにまで遠征して途中急逝した
というまったく興味の湧かない史実のみである。
ところが、このTVをみてびっくりした:
アレキサンダー軍があんなに強かったのは「Engineeringを活用したためだ」ということである。まず、武器だ。父親フィリッポス2世も、敵軍の何倍も長い槍を持たせた歩兵部隊を四角い軍団にまとめて敵軍目指して押し出したり、手動が当たり前の弓矢を機械式に変えて飛距離と殺傷力を飛躍的に高めて当時の世界最強軍を作り上げ、ギリシャ制服を果たしたらしいが、父を継承したアレキサンダーはそれをもっともっと徹底したという。アレキサンダー大王行く所は常にEngineering Groupつまり技術団が付き添い、勝つための新しい武器、勝つための補助手段を考案して実行していったという。
紀元前300年代にである。たとえば、強大な海軍を擁するペルシャ軍の小島上の要衝(TVで島の名前を言ったが忘れてしまった)を攻めるとき、海に出ると強大な海軍に攻められるので、技術団は島に長さ1km幅60mの道を築き、要塞から矢を射かけるペルシャ軍に対して、「動く弓矢台」とでも言うべき6階建てくらいの移動式要塞を作り、小島の要塞に上から矢を射かけて敵をせん滅したとういう。
我々技術者は、たとえば、会社の新規事業を実現するために新製品や新素材や新製法を考案する。到達すべき目標に対して現状を分析し、問題点を明確にし、前提条件を明確にし、競争相手の実情を知り、それを超える技術や方法を考案し、試作し、実験し、問題点を改善し続ける。アレキサンダー大王の技術団もほとんど同じ思考方法を駆使したのだろう。しつこく言うが、紀元前300年代にである。大変感銘深い番組であった。

関連して印象に残った話が二つある。
① フィリッポス2世もアレキサンダー大王も征服したギリシャを蹂躙せず、むしろ、ギリシャ文明を敬い自分たちがその文化に同化しようとしたという。征服したペルシャでも部下とペルシャ人の集団結婚を奨励し、ペルシャ風礼式を取り入れ、代官にも現地有力者を任命したという、この包容力が東西融合のヘレニズム文化を産んだ。
② こうしてEngineeringが重要な意味をもったヘレニズム文化が勃興した当時、エジプトでは、すでに蒸気機関の原型が発明されていたという。にも拘らず、蒸気機関の実用化が18世紀の産業革命までまたなければならなかった理由は、当時のエジプトでは人件費が極端に安く、幾らでも人力を使えば良かったために蒸気機関の需要が見つからなかったからと言う。必要は発明の母なり。
面白い番組でした。

2008年4月8日火曜日

胸を張って歩こう

先日、㈱コムチュアの向浩一社長から聞きました。
中国に出張した時、仕事仲間の中国の人が、「韓国人と日本人は遠くで見ていてもすぐに見分けが出来る」と言うのだそうです。
「胸を張って歩いているのが韓国人、うつむき加減に下を向いて歩いているのは日本人だ」と言うのが見分け方のノウハウで、百発百中ですと胸を張ったという。
この話を聞いて「そんなバカなー」と思いましたか?
「そうかも知れないなー」と思った人が多いのではないでしょうか。
その方が問題かもしれませんね。しかも、日本人が自信を失くしているという事実だけではなく、中国の人たちに日本人が自信を失っていると見られているという事実はもっと深刻な問題です。
経済競争力の中で交渉力は重大なファクターですが、「最初から自信なし」と見られていては交渉になりません。
みなさん、胸を張って歩きましょう。
そのために普段からトボトボと下を向いて歩かないで、左右の肩甲骨を引き合って、胸を張って歩きましょう。

2008年3月15日土曜日

二代目経営者ガンバレー!

二代目経営者が頑張る大阪府下の中小企業を見せてもらった。第一プラスティック㈱の松田雄一郎社長、㈱中田製作所の中田寛社長、㈱岩本モデル製作所の岩本 明久専務の3人の経営者はともに二代目である。それぞれの会社の詳細はそのHPに譲るが、大企業の係長や課長が組織の一つの歯車として、上から落ちてくる 仕事を無難にこなすだけに終始していたり、自分がやる気でも上も下も付いて来ないでストレスと虚無感に苛まれたりと悩みの多いミドルたちと違って、この3 人はともに意気軒昂で話していても気持ちがいい。三人とも父親が創業した家業の後を継ぎ順調に発展させている。人間の生き方を考えさせられる貴重な体験で あった。今回はその訪問記である。
① まず、松田雄一郎君。中学生のときに父親から「会社をやるかー?」と言われて決心した経営者の道を「経営者になるために生れてきたんだ」と26歳で社長を 引き継ぎ、今は32歳。工場を案内しながらプラスティック加工の工程を詳細に説明する眼は自信に溢れている。やる気満々の若大将には技術知識の習得も軽々 とこなせるのであろう。32歳で「本当にモノづくりの好きな若者に活躍の場を提供する」と言いきって見せる。頼もしいものだ。ご両親も会社の経営をすっか り松田君に託し、夫婦で気候の良いところで好きなゴルフ三昧とか。これも大会社の重役にはできないことですね。
② 次は中田寛君。中田製作所はアルミ加工を専門にする会社で、大学から銀行に進んだ中田君をお母さんが二代目社長への就任を懇願され、落とされたと笑う。入 社した息子に父親は厳しかったが、業界トップレベルの超精密加工50μ→10μ→8μと技術者の部下2人と挑戦し続け、業界に中田製作所の名を確立させ、 二代目社長に就任したという。他社に類を見ない高い技術力は会社の信頼を上げ、超精密技術を要しない分野での業績も向上したという。ここの工場を見て回る と他所との違いが歴然としている。職人たちの目が光っているのだ。良い仕事をしているのはその眼に力があるのだ。
③ 岩本明久君はモデル製作所の二代目だ。家電製品などの商品企画や開発の前段階で必要になるモデルをNC技術を駆使して製作するのが仕事だが、この会社の面 白いのは、まず岩本君自身が若い時に悪ガキ(元ヤン)だったこと。だからこの会社には元ヤンが何人もいるという。工場見学のときにもアゴヒゲを蓄えた喧嘩 の強そうな職人を結構見た。そして、元ヤンたちは今はみんな真面目で良く仕事をするという。一つのモデル作りを分業せず、最初から最後まで一人に任せる仕 事の仕組みがいい。任された若い職人はみんなが一生懸命で、ここでも職人が良い眼をしていた。ヤンキーと言われる若者たちは実は真面目だから自分をごまか せずにヤンキーになることが多い。だから根は真面目なのだ。心から信頼できる元ヤンの岩本を大将にして彼らは懸命に社会に役に立とうとして頑張っている。
その内にチャンスを見つけて彼らを西岡塾に呼んできます。

喫煙タクシーの導入を提案します

東京のタクシーが全面禁煙なんて、とっても信じられなかった嬉しいことが実現して来週には早1か月になる。しかし、今でも多くのタクシーはタバコ臭い。全 車にイオン洗浄が義務付けられたとは聞くが、これまで喫煙自由であった車両に染み着いた悪臭は簡単には除去出来ないし、運転手が客待ちの間に車外に出てタ バコを吸った直後の呼気やタバコの匂いの染みついた洋服があの悪臭の源のようだ。
先日も乗ったタクシーがもの凄くタバコ臭いので、「この車はタバコ臭いねー、禁煙のはずじゃないの」と聞くと、「東京のタクシーは全部禁煙ですよ。僕がさっき車外で吸ったばかりだから、それで臭うのですかねー」と澄ましたもんだった。

これまで禁煙タクシー専用乗り場を置いていた聖路加病院が12月から「禁煙タクシー以外乗り入れ禁止」の措置をして利用者に喜ばれていたのに、1月7日か らは事実上すべてのタクシーが乗り入れ自由になり、利用者はタバコの悪臭に悩まされているという。全面禁煙のために却ってタバコの害を受けるという皮肉な 事態に病院としても頭の痛めているという。

そこでこの際、思い切って「喫煙タクシーの導入」は如何だろう。「東京のタクシーは禁煙を原則とする」というルールのもとに「喫煙タクシー」も一定のルー ルのもとに許可する。ルールとは車に「喫煙車」と目立つようにサインを付ける。タクシーの中でタバコを吸いたい人はこの喫煙タクシーを選べばよい。運転手 も客待ちのときにはタバコを吸えばよい。自分は喫煙者だが車内のタバコ臭さは嫌いと言う人は普通のタクシーに乗ればよい。喫煙のドライバーは喫煙タクシー に乗務すればよい。その代り、普通のタクシーは車内の空気清浄化を徹底する。如何だろう。

飛行機や新幹線やレストランなど多くの人がいる場所では煙は漂っていくし、タバコの煙の粒子は極々小さいので煙害を完全にシャットアウトできる分煙システ ムはなかなか実現できない。加害者と被害者を足して2で割る分煙は非喫煙者を保護できないから禁煙が広がるのは当然なのだ。
しかし、タクシーは原則的に個室である。「喫煙タクシー」と大きく明記して利用者もドライバーも納得の上で利用するなら誰も迷惑はしないはずだ。

「禁煙とは喫煙を禁止する」ことではない。「禁煙とは非喫煙者をタバコの害から守る」ことである。喫煙者がまだまだ多い社会で、「本当の禁煙」を実効的に実現するために、思い切って禁煙車を導入することには一考の余地があるはずだ。
(PS)ルドさんと言うイタリア人のお友達とよく一緒に蕎麦ランチを楽しんでいる。「喫煙タクシーの導入」は蕎麦を食べながら議論をしていたときにルドが言い出した考えである。ルド、ありがとう。

オランダ、ベルギー報告-2

(オランダの続き)
④ オランダはご存知のように運河の国です。至る所に運河が流れていますが、河淵には柵がありません。もし日本でこんなところに子供や老人が落ちるようなこと があれば管理責任を問われて大問題になるはずで、だからどんな川にも厳重に何らかの防御柵が張り巡らされて、しかも警告標識が一杯です。が,こちらでは河 淵に柵がありません。中には河淵が駐車場に利用されているところも多く、ちょっと運転を誤ると河に転落という所にも柵は一切ありません。「河に落ちないよ う厳重注意!」などの標識も一切ありません。すべて自己責任が徹底しているのですね。そのかわり街の風景には情緒があり、中には中世の雰囲気を保っている 所もあって最高です。
一方、わが国では自己責任よりも管理責任のほうが重視されているので、その責任を少しでも回避しようと警告だらけです。電車のホームやエスカレータでは黄 色い線内に立て、子供にはエスカレータに引っ掛かるような履物はダメ、電車のドアの隙間に指を挟まれないように、などなどだが、その最たるものは山際を走 る道路の「落石注意」の立て看板だ。車を運転していてあの看板を見ると「どう注意したらいいのだろう」、「そんな警告をするくらい危険な事が分かっている なら事前に防止工事をしろ」と考えてしまう。
(オランダ、ベルギー共通)
⑤ オランダの食事はあんまり美味しくない。「オランダの料理は楽しむためではなく、腹を満たすためにある」と言われる通りでハリングの苦手な自分には朝食の パンとハムが美味しかった。むしろ永く領有したインドネシアの料理が第2の郷土料理らしい(フランスのベトナム料理、イギリスのインド料理のようなもの) だが、オランダまで来てインドネシア料理を食べる気にはならないしねー。 一方、ベルギーは美食の国。何と言ってもムール貝がある。いろいろに料理される ムール貝はどれも美味しかった。とくに、西岡塾の5期生で駐日ベルギー大使館のクレールさんから推薦されたレストランの一つ、肉料理が自慢で日本人にも ファンの多いVincentはふっくらとした大粒のムール貝が特別に美味しかった。肉料理も美味しかったが、やっぱり和牛のステーキには敵わないナー。
⑥ 日本の方が優れていることも勿論多々ある。
・フランスでも同じだが、両国とも飼い犬の糞を始末しない。少なくとも東京では飼い犬の散歩中の糞を飼い主が始末するのは常識となった。全国的にそうだと いう自信はないが、少なくとも東京ではかなり定着している。ところが、オランダでもベルギーでも道端に犬の糞がほったらかしだ。「死の町」という小説で注 目を浴びるベルギーの小さな町ブルージュは中世の町がそのまま静止したような美しい町でベルギーでも1、2を争う観光地だが、観光客が犬の糞を踏み付け て、ギャッと立ち往生し、靴に付いた糞を道の縁に塗り付けて拭っている。こんなのどうかなー? 東京からベルギーに来て長期滞在した人が、飼い犬の糞を東 京での日常通りビニール袋で拾っていたら、「そんなことをしたら清掃人の仕事奪う」とたしなめられたそうだ。
・どちらも美術館のガードたちが喧しい。静かであるべき美術館内のガードたちがクチャクチャと、しきりと仲間同士でおしゃべりに興じている。ハーグのマウ リッツハウス美術館ではフェルメールの名作「真珠の耳飾の少女」をうっとりと観賞しているのに、ガードたちの立ち話が余りに煩いので、堪り兼ねて「館内で は静かにしなさい。鑑賞の邪魔になります」と注意をしてしまった。日本の美術館では考えられないことだ。まあ、その代り日本の美術館では著名な絵が来ると 「立ち止まらず前に進んでください」と連呼される中を押しあいへし合いで見なければならないのだから、うっとりと鑑賞と言う訳にはいかないけどね。でもま あ、ここは両国の美術館のガードに「折角の静寂をガードがぶち壊すな」と猛省を促したい。
・もうひとつ、どちらの国も喫煙者のマナーが悪い。街を行く人たちが颯爽と「くわえ煙草」でポイポイと吸殻を街に捨てて歩く。日頃、喫煙者の歩行中の喫煙 に苦しんでいて、日本人の喫煙マナーの悪さを嘆いているが、日本だけが最悪ではないと変な納得をしてしまった。また、ベルギーには禁煙のレストランも増え ていて助かったが、オランダではレストランの中が煙草臭くておうじょうした。そう言えば今日1月7日から東京のタクシーは全面禁煙となった。TVでその ニュースを見た時はバンザーイと飛び上がりたいくらい嬉しかった。そんなことをベルギーのホテルで考えていたら、CNNで「フランスでバーもレストランも 禁煙」というニュースが流れた。あの愛煙家の多いフランスが、ですよ。良かったーとは思うが、守れるのかなー?
⑦ どこの国にも悪い奴はいる。アムステルダムで購入した、列車、TRAM、バス、美術館一日共通券に運河をボートで巡るクルーズのチケットが付いていた。時 間もあるし、乗ってみようかと船着き場に行ったら、受付オフィスから若者が飛び出してきて、「乗るんですか? OK!早く早く、もう直ぐあのクルーザが出 ます。はい、一人10ユーロ下さい。船まで案内しまーす」と来た。
「何? 一人10ユーロ? チャンとチケットを持っているのに10ユーロ出せとは何のためだ。あんたはここの職員か?」と睨みつけてどんどん進むのに前を 遮って「一人10ユーロで案内します」とシツコイ。ちょうどその時、次の船から船頭が降りてきたので「その男はここの職員か?」と尋ねると首をすくめてい る。若い男を睨み付けて事もなく船に乗り込んだが、どこの国にも悪い奴はいる。  (終わり)

明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願い致します。
年末年始にオランダ→ベルギー旅行をしたのでその時に感じたことをいろいろ綴ってみます。
(オランダ)
① こちらのクリスマスは静かだ。クリスチャンでもない日本人がキリストのために(?)こんなに嬉しそうにジングルベルを連呼するのに、キリスト教のこの国は 静かだ。現地の人に聞いてみると、「クリスマスは教会に行ってお祈りをし、家庭で楽しく過ごします。日本のクリスマスはアメリカと一緒で、すごく商業化し てるんですってね」とよく知られている。静かなクリスマスを象徴するのは街のイルミネーションで、日本のようなカラフルで動きの多いものと違って、こちら のネオンサインは数もずっとずっと少ないし、白い光を静かに放って居るだけ。クリスマスソングもラジオでは一日中放送されているらしいが、街中ではほとん どと言っていいほど聞こえない。昔住んでいた奈良のクリスマスよりも静かだ。
② 外国に行った時にはなるべく公共交通機関を使うことにしている。タクシーを取るのではtoo easyで世界中どこでも同じだが、公共交通機関は国ごとに仕組みが違って、それを使いこなすのもちょっと面白い。
オランダでも、外国に通じるInternational、国内の都市をつなぐIntercity、都市の中のローカル線、日本の市電のようなTRAMや地 下鉄のMETROにバスなどが縦横に張り巡らされているのでレンタカーを使って駐車場の心配をするよりずっと便利である。滞在期間に合わせて最もお得な回 数券を手に入れて使いこなすのも小さなチャレンジだ。「公共に売っているチケットを購入するのは簡単でしょう」と言われるかも知れないが、早朝乗った TRAMで回数券は売り切れですとか、自動販売機で札を使えないとか、だから販売窓口に行ったらコンピュータ端末がダウンで販売できませんとか、だったら 自動券売機で買うから札をコインに両替せよだとか、ストライキで予定していた列車が運休だとか、、、いろいろんなハプニングに適切に対応しながら初めて 行った国の公共交通機関をすぐさまに乗りこなすのは経済的なだけではなく、結構エキサイティングです。
③ 朝の9時頃に乗り合わせたTRAMの車掌が居眠りをしていました。制服の上に真っ赤なジャンバーを着込み、頭に毛糸の頭巾を着た、まるで私服で勤務してい るように見える若い男の車掌がほとんど居眠り状態で、乗客が乗ってくるとやっとこさと切符にスタンプを押すと今度は新聞を読みだしました。日本では考えら れないことですねー。手差し確認励行で、ドアー:良―し、信号:良―し、発車:良―し、、、と誠実勤勉な日本の車掌とは相当異質です。少なくとも外見上だ けは日本の車掌のほうが誠実勤勉に見えますがねー、外見上だけですかねー、居眠り事故もあるしなー???   (続く)

うだつが上がる

「うだつが上がる」とは出世することを意味するが、その語源となる「うだつ」が保存されている岐阜県美濃市と郡上八幡に行ってきた。

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写真は美濃市の「うだつ」である。
うだつは「卯建」と書くそうだが、写真の中央上部、二つの家屋の1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられている屋根のついた小さい壁が「うだつ」 で、隣り合う町屋が隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られるようになったものだが、江戸時代中期頃には自分の財力を誇示する為の装飾 としての意味合いが強くなったという。
「あいつは、なかなかうだつが上がらねーなー」などと言われることにならないようにしたいものだ。
この前日には美濃市の隣町である郡上八幡に寄ってみた。
初雪が降って寒い寒い郡上八幡だったが、冷たい雨ではなく大雪が降ったので、お蔭で風情は一段と勝った。郡上八幡の見ものは400年前に城主が築いた用水 路と、城主自身が音頭を取って盛んにした郡上踊りである。町中に張り巡らされている用水路は美しい水の流れを段々に別けて「飲み水」、「野菜を洗う水」、 「洗濯水」と使い分けている地域もある。
写真は組合を作って大切に使っている地域だ。
                  
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郡上踊りの実演会場では「見物の方も手振りだけでも踊ってみてください」と促されて恥ずかしながらやってみた。今も7月から9月の30数日間全国からの観 光客を集めて踊り狂うのも道理で、特に下駄を打ってカーンと響かせる踊りは心がワクワクする。来年の本番に参加してみたいと思う。同行希望者はお知らせあ れ。
それにしても、小京都と言われる郡上八幡の町は「城主が優秀だと何百年の間も領民を幸せにする」ことを証明している。私も小なりと云えども組織の長、身の引き締まる思いで見て来た。

塾生からの伝言2

先の久保田さんのメッセージに、早速同じ一期生の東京海上日動火災の原島さんから
以下のメッセージがありました。これも伝言します。西岡郁夫


久保田さん、
メールありがとうございます。ご無沙汰しています。久保田さんがメールに書かれている「豊かさの根源」について私も同じように考えさせられる経験をしてきているので返信します。
私は入社5年目に外務省に出向し、保険とは全く関係ないODAの仕事を2年間していました。新婚旅行でしか海外に行ったことのなかった私にとって途上国へ の出張はあらゆるものが新鮮で、多様性に驚きカルチャーショックを受けました。(黄熱病・肝炎・破傷風の予防接種、マラリアの予防薬服用などしながら、旅 行では行かないような国々に2年間で9回出張しました)

途上国ですから経済的には日本に比べて裕福ではありませんが、アフリカの最貧国を除けば「豊かさ」では日本より上ではと感じる国や場面を経験しました。
特にブータンに行った時の印象は強烈で日本で言う豊かさの象徴であるようなモノはほとんどないにもかかわらず、みんな健康的に幸せな暮らしのように見えました。

米国に7年間駐在していた時は「物質的な豊かさ」とともに「精神的な豊かさ」も実感しました。また、帰国後もラテン系の人たちの陽気さや楽天的なものの考え方・生き方も「豊かさ」を考えさせられました。
ただし、個人的には、日本という国および日本人も昔は「物質的な豊かさ」はないが「精神的な豊かさ」を持っていたのではないかと思っています。

最後に、日本企業がグローバル化してる中で、「多様性(Diversity)」と「共通の価値観(Core Value)」が大きな課題だと感じてます。多様性を尊重し受け入れながら企業としての共通の価値観を持つということは実践するのはとても難しい課題だと 日々感じています。

原島

塾生からの伝言1

ベルギーへ赴任中の一期生の久保田さん(エルピーダメモリ)から「一期生の飲み会」に宛ててメッセージが届きました。みんなで考えようと「西岡郁夫の部屋」を伝言板に使わせて頂きます。

西岡塾一期の皆さん

無政府状態が4ヶ月以上継続中のベルギー在住,久保田です.
福田さん,中西さん,世話役お疲れ様です.いよいよ明日に迫りましたね.
どう考えても不参加なので,近況報告で参加します.ちょっと悔しいです.

欧州全体がそうらしいのですが,ベルギーでは日曜日に普通のお店は営業していません.日曜日の街は,本当に閑散としています.何人かの現地人に質問しまし たが,日曜日は家族と過ごす日だという認識で大体一致していました.それでは不便だと若い人は思っているようですが,その習慣を変えるつもりはないようで す.

私が働いている会社の従業員は,3週間の夏休みが基本です.それを今年は,7月と8月に合計2回取った人が居ました.彼は,ある会議のコーディネータ役でしたが,休みの間その会議は開催されず,不開催の案内もありませんでした.
この会社でも市役所でも,あるいは普通のお店でも電話のカスタマーサービスでも,担当者が知らない場合は”それはできない”と言って終わりです.わかる人まで取り次ぐという習慣はありません.

このように,日本人として築いてきた常識,塾生として学んだ考え方を根本からひっくり返されるような事件に数多く遭遇してきました.
だけど,この国の人々は幸せそうなんです.日本人よりもずーっと健康的に見えます.
朝は8時から9時に出勤して,5時にはほぼ退社完了です.景色はきれいだし,家は広いことが基本です.

この豊かさの根源は何でしょう?歴史の違い?伝統の積み重ねの成果?
明日の会合で,もしも話題が途切れるようなことがあるようでしたら,(そんなはずないですが)この話題を使って頂けると幸せです.いつか皆さんのご意見をお聞きしたいと思います.
ちなみに,こんな所でも,日本人は深夜残業,休日出勤当たり前で働いています.(私を除いて)少しも幸せそうには見えません.悲しい性なのではないか,と感じています.

ベルギーからは以上です.東京にお返しします.

責任回避?

筆者のオフィスの近くにある全日空ホテルの六本木通り側にあるエスカレータが雨天には下の写真のような看板が立って運転停止となる。
看板には「雨天による安全確保の為 停止中」と書いてある。
このエスカレータはホテル敷地内にあるようなので公道ではなく、ホテルの2階部分や赤坂アークヒルズへ誘導するための私道かも知れない。
そうだとすればホテルが自由に運転停止にすることは合法的だろう。
しかし、このエスカレータを便利に使わせて頂いている通行人の立場から見ると、「雨天のときには横の階段はステップが濡れていて大変危険なのだ。いつも滑 らないように恐る恐る階段を下りているのは私だけではない。こんなときこそエスカレータの方が安全なのに」とホテルの仕打ちを恨んでいる。

エスカレーター
(写真は雨が止んでもまだ運転が再開されないエスカレータと会談を降りる通行人)

管理側にもいろいろ言い分はあるだろう。
しかし、「雨天は足を滑らせて危険だ。が、もし、階段なら通行人の責任となるが、エスカレータ上の事故だと管理責任が問われる。くわばらクワバラ」とエスカレータを運転停止にしているのではないだろうか。世の中こういう事例が多い。

新しい入国審査 ― これでいいの?

TV報道などでご存知の通り、11月20日から我国への外国人の入国審査の方法が変わった。
法務省入国管理局のHPでは:
「『ルールを守って国際化』を合い言葉に出入国管理行政を通じて日本と世界を結び,人々の国際的な交流の円滑化を図るとともに,我が国にとって好ましくない外国人を強制的に国外に退去させることにより,健全な日本社会の発展に寄与しています」
とし、具体的には「指紋を取る」、「顔写真を撮る」、「入国審査官が審査する」というプロセスがスタートしたのだ。

確かに安全は最優先課題だ。国民の安全を守るために必要な措置は最優先で行われなければならない。それは認める。
しかし、今も心理的な抵抗感が大変強い「指紋を取る」、「顔写真を撮る」という措置を敢えて強制するのは「唯一、最善の策なのか?」と危惧せざるを得ない。

まず、採取された指紋や顔写真が他の目的に悪用されないという仕組みの確立が出来ていない。少なくとも入国審査を受ける外国人たちに安心感を与えられては 居ないのが現状だ。政府が「悪用しません。安心して下さい」と叫んでも、社会保険庁の「年金記録問題」やどんどん大きくなる防衛省の疑惑問題は外国人の日 本の役所への信頼感を既に十分に失わせているのだ。

私は今回の措置で、「外国人経営者や観光客の日本への距離が益々遠くなるのではないか?」と真剣に心配している。外国企業との協業、貿易と観光事業は日本 の重要戦略ではなかったか。「指紋を採られたり、顔写真を撮られるくらいなら日本行きは止めた」と言い出す外国企業幹部は少なくないはずだ。彼らが日本を 迂回して中国、韓国、インドに直行することが今後多くなることを危惧している。

仲の良い日本在住のイタリア人が日本のことを心配してこんなことを言っていた。「日本で起こった大きなテロ事件は麻原彰晃(本名:松本智津夫)率いるオー ム真理教と赤軍派で日本人ばかりじゃないですか。なのに、日本人を安全と信じ、外国人は疑うというのは釈然としませんね」と。

繰り返します。安全のための措置は重要です。しかし、今回の新しい入国審査の方法は「唯一、最善の方法なのですか?」。国民的コンセンサスが取れていますか?

トマト銀行

先日、岡山のトマト銀行の得意先向けのセミナーに基調講演を依頼され、「儲けるためのビジネスモデル・イノベーション」に関してお話をした。

ところで、トマト銀行とは大胆な名前ではないか! 重々しい名前を使いたがる銀行にしては大胆にも実に軽々しい。が、悪い気はしない。良いんじゃないのーという印象で会場に赴いた。

講演の前後に中川隆進社長や幹部の方から改名の経緯を含めていろいろお話をお聞きした。今回はそのレポートである。

平成元年に元の山陽相互銀行という相互銀行から普通銀行に転換したとき、顧客に愛される銀行を目指して当時の社長(2代前)が思い切ってトマト銀行と改名されたらしい。
でも、何故トマトなの?
ある朝、社長宅の朝食のテーブルに乗っていた瑞々しいトマトを見て「よし、トマト銀行としよう」と決められたという。
当然、社長の提案に幹部たちは「信用と安定をモットウとする銀行に、直ぐに萎びて腐ってしまうトマトでは軽すぎる」と全員が大反対だったという。
しかし、当時の社長は押し切った。すると、商号の珍しさから全国ニュースにも取り上げられるし、当時の言葉で言う「ナウイ!」と評判になって顧客からの評判も上々と大変得をされたらしい。確かに、「にんげん大好き―トマト銀行」というキャッチにこの名前はピッタリだ。
中川社長の挨拶は「今後とも、~MOTTO(もっと)身近でお客さまに信頼され選ばれ続ける『じぎん(地元の銀行)』へ~を目指して、、、」であった。地 銀を「ちぎん」と読まないで「じぎん」と読むのは、地元(じもと)で集めたお金を地元の繁栄に生かすことがミッションだからという。これもいい感じだ。
会場からの発言も多く、良い講演会であった。

自分の仕事に誇りを持つということ

以前、e-woman社長の佐々木かをりさんのご著書「自分が輝く7つの発想」(光文社)の感想文を書かせて頂いたときに、以下のような事例を紹介した。

先日、天気のいい日に新幹線に乗っていたら「皆さん、本日は大変いいお天気で富士山が美しく見えます。もう少し参りますと富士山が一番美しく見える場所に 列車が差し掛かりますので改めてアナウンス致します」という車内アナウンスがあった。しばらくして「皆様、いま富士山が一番美しく見えます」というアナウ ンス。なるほど煙突の煙も少ない場所で正しく絶景であった。列車の中は乗客が山側の窓際に集まって「うわー、綺麗! こんな富士山を始めて見た」と歓声を 上げた。そのとき、この車掌さんは自分の仕事に誇りを持っておられるなァと思ったものだ。自分もこういう仕事をしようと思う。

先日、鹿児島に行ったときの帰りの飛行機(JAL)では左の窓側に席を取り、何気なく窓の外を見ていたら、凄―い富士山を見た。鹿児島発が16時の便だっ たから、それは17時半頃だったか、暮れなずむ富士が雲海の中にすっくと立っていた。暗くなりかけた雲の中にほとんど山全体がくっきりと見えた。これまで に一度だけ飛行機から見た赤富士もそれはそれは美しかったが、暗い雲の中に佇む富士も美しかった。
で、当然ながら僕は上のエピソードの車掌のアナウンスを思い出した。
乗客が狭い窓から眺めてこれだけ感激しているのだから、当然、機長と副操縦士も同じ富士を見ているはずだ。操縦席の大きな窓からは、きっと息を呑むほど美しかったはずだ。
しかし、今回は残念ながら何のアナウンスもなかった。左の窓側に座る多くの人たちが何も知らずにいた。
結局、自分の機に乗り合わせる乗客たちと美しい富士山を見る喜びを分かち合うなんて、その操縦士たちにはなかったのだろう。感受性の問題か、仕事への誇りの問題か誰にも分からない。

ついでながら、僕は隣の年配の男性に「富士がきれいですよ!」と声を掛けた。怪訝そうに窓の外を眺めた男性が「おー、美しいー!」と声を出したので、我々 の前後の席の人たちは「あらー」とか「へー」とか言い言いしながら富士山を楽しんだ。もとりん、アナウンスの威力には適わない。

5次元放射線照射ガン治療

先週、ソフトウェアの大手SAPが宮崎フェニックスにユーザー企業を集めて開いた大きなイベントSAPPHIREに講師として招かれたのをチャンスに、翌日は鹿児島に足を伸ばし、厚地脳神経外科病院に行ってきた。この病院の厚地政幸理事長はかつて、
http://www.c-player.com/ac78768/thread/1100057813928
でご紹介した凄い先生で、上の記事では老医師などと書いてしまったが、72歳の今も現役で診察をされている。
先生、前稿では「老医師」などと失礼しました。
厚地先生は数年前にガン撲滅のために一私立病院が15億円を投じてPET検診を導入され、その手厚い検診で東京を含む県外からの多くの人々に圧倒的な支持を得ておられる。詳細は上のURLを参照頂きたい。
私もほぼ毎年お世話になっているのだが、今回もPET/CTによるガン検診を受けて無事に異常なしという結果を戴いた。ほっ!

ところで、前稿でも触れたが、厚地先生のもう一つの凄いところに「ガンは早く見付けて、切らずに直しましょう」というポリシ―のもとに、4次元放射線照射 治療で目覚しい治癒実績を誇る若い植松稔医師を鹿児島に迎え、世界中にここだけしかないという「4次元放射線照射装置」を開発、UASオンコロジーセン ター(植松稔所長)を開設して「明るいがん治療 切らずにピンポイント照射」(三省堂、植松稔編著)を実践されていることだ。肺ガン、乳ガン、前立腺ガン などを身体にメスを入れることなく放射線で治療して大変高い治癒実績を挙げておられる。
この4次元とは、ガンの病巣に正確に焦点を定めるためのx(横)、y(縦)、z(深さ)の3次元情報にt(時間)を入れて4次元である。治療を受ける患者 は呼吸をしているので患部は動いている。その微妙な動きに合わせて放射線照射の焦点を合わせるために時間軸tを入れるのだが、こういう放射線装置が世界中 で造られていないので、植松先生の情熱に感動した技術者たちが集合して完成させた装置だという。数ヶ月前にNHKでその治癒率の高さが取り上げられて、今 は県外それも遠く東京から治療を求める人たちが集まってくる。たとえば、会社の取締役に昇進する寸前に肺ガンの宣告を受けたことを考えてください。入院治 療が会社に知れるともう昇進は諦めなければならないだろうが、植松先生の治療法なら毎日の通院で短時間の照射を受けて完治することが期待できる。乳ガンは 乳房を切らずに治せるのだ。詳細は上のご著書を参照してください。

私がPET/CT検診に来院すると聞いて、植松先生も待っていて頂いて、忙しい治療の合間にお話をして来た。
そのときの話題が今回のテーマだ。まず、植松先生はかっこいいー。「白衣は患者さんに余計な緊張感を与えるから着ません」と男前がダンディに三つ揃いの背広の上着を脱いで寛いだ姿で治療に当たられている。
「西岡さん、ガン治療時の患者さんはイヤでも緊張されますから、医者のちょっとした心掛けも重要だと思います。その点、ここにいる看護婦の桜井佳代子さん の存在が大きいのです。いつもニコニコと明るく接するので患者さんたちは彼女を本当に信頼しています」と紹介された桜井さんは若い可愛い看護婦さんでし た。「無事退院された患者さんから届いた梨の宛先は桜井佳代子さんでしたよ。当病院のエースです」と嬉しそうだった。
なるほど、この病院の放射線照射は技術の4次元に医者と看護婦の心が加わって5次元なのだ。

2008年2月29日金曜日

「西岡郁夫の手紙」の連載を再開しました

丸の内「西岡塾」のホームページの刷新を契機に「西岡郁夫の部屋」を作って連載を再開することにしました。最近は、日経オンラインのNBonlineの経 営新世紀への「西岡郁夫のIT道具箱」やリクルート発行の月刊誌アントレへの「西岡郁夫のビジネス流儀」を連載してきましたが、今後は西岡塾での連載をメ インにやっていきます。経営、IT、中小企業などがキーワードですが、ときどきは通勤電車に揺られいてほっと気付いたことなど気軽に書き綴って生きたいと 思います。ご愛読頂ければ幸いです。

また、この連載の中に「男子厨房に入るべし」という料理に関する随筆もときどき潜り込ませようと思っています。ご挨拶で述べているように、経験も短く、料 理教室に通ったことも無く、ただ気楽に楽しんでいるだけの料理です。そんな料理ですが結構美味しいですよ。自画自賛ですが、家族も時々「美味しいー!」と いってくれます。それが楽しみで、時には週末の2時頃から夕食までずっとキッチンで働き続けることもあります。自分が作ったレシピももちろん、ありませ ん。もっぱらレシピ本に頼っています。しかも理科系人間だから実に正確に書いてある通りに調理します。
僕が料理をする上での自分へのルールが2つあります。
① 料理は原則として冷蔵庫の中にある食材を使うべし
② 料理人は片付けをしてこそ料理人なり
です。
さて、最近の週末のランチのご紹介です。
① カポナータはイタリアのシチリア地方の名物料理。夏野菜のトマト煮です。レシピにある赤、黄色のピーマンが冷蔵庫に無かったので、その代わりに使えそうな ものを総動員しました。ズッキーニ、ナス、玉ねぎ、セロリ、サツマイモ、オクラ、ジャガイモを一口大に切り、オリーブオイルを中火で熱してニンニクの香り を出し、火が通ったらホールトマトの缶詰を加えて煮込みます。香り付けのハーブはバジルとセージだがセージが家庭菜園になかったので僕が買ってきた名前の 知らないハーブを使った。


健康的だとなかなか好評でした。
僕が大好きで頼りにしているレシピ本を紹介します。もし作る人はそちらを参考にして下さい。
カポナータは④を参考にしました。
① 「晩酌レシピ」飲み屋のお母さんが作る体にやさしいおそうざい (オレンジページブックス)宮澤民子
② 「男のイタリアン」 (オレンジページブックス―男子厨房に入る)
③ 「南イタリアのトマト家庭料理」-マンマの味のすべてがわかる (Magazine House mook)
④ 「イタリアのシンプルレシピ-簡単で毎日おいしい、マンマの料理がお手本です(オレンジページブックス)
などなどです。これ以外にケーブルTVの「フーディーズTV」も参考にしています。ただし、調味料の分量は、砂糖は6割、醤油は割りと家庭の味にカズタマイズしています。

膨大な書類データ入力にITの本領発揮 (NBonline「経営新世紀」 2007/09/29)

外国に安い労賃を求めて何でもかんでもアウトソーシングすることに、セキュリティ問題という歯止めが掛かってきている。アウトソーシングする内容によっては秘密厳守しなければならない個人情報の漏洩問題がネックとなっているようだ。
 たとえば、多くの企業や自治体などでは昔から紙媒体で保存されてきた膨大な量の個人情報がある。住民台帳やアンケート用紙、世論調査票、各種契約書類な どなどであり、中には手書き書類も数多くある。紙のままや手書き書類では検索や統計などに使えないので、これらをデジタルデーターに変換する必要があるの だが、書類を見ながらキーボードでコンピュータにインプットするのは膨大な作業であり、是非とも低賃金の作業者を使いたいのだが、個人情報がオペレータに 丸見えになるため種々の漏洩経路が発生することになる。
 このインプット作業を中国を中心に賃金の安い外国企業にアウトソーシングすることが一般的だが、文書データーをそのアウトソーサー企業に託さなければな らないので、外国側での情報漏洩を防ぐ手段が外国企業任せになってしまう。これでは日本企業側の責任が果たせないから確かに重大問題である。
 何も外国企業は安易に情報漏洩をすると差別発言をしているのではない。情報漏洩を防ぐためのオペレータの日常行動や文書保管方法などの諸々の管理が外国企業側に委ねられるのでは、依頼側である日本企業の責任が果たせないのが問題なのだ。
 では、他社にアウトソーシングせずに全ての個人情報に関わる情報インプットなどの作業を自社内でやっていれば安全だろうか? 答えがNo!であることは種々の事故でご存知の通りだ。正社員と契約社員に関わらず不心得者による漏洩事件は引きも切らない。
 ところが、アウトソーシングするか否かに関わらず、この問題をIT技術で一気に根っこのところから解決した賢い日本のベンチャーがいる。その知恵に感心してしまったのでここでご紹介したい。
 仕組みから説明すると、膨大な紙媒体の文書をスキャナーで読み取ったあと、データーをそのまま外国サイドに送るのではなく、このデーターを木っ端微塵に分解してからアウトソーサーに送付するのだ。
 保険の契約書を例に取ると、アウトソーサーの某オペレータには契約書データーの中から契約者の生年月日のたとえば生年だけしか配信されない。契約者が私 なら1943だけだ。だから、このオペレータは日がな一日、1975、1963、1981……とキーボードで打ち続けている。隣のオペレータは契約者が男 に○をしてあれば1、女に○なら2と、1か2しか打たない。その隣では、西岡、山本、田中と姓だけを打っている。だから、これではたとえ悪意があっても、 人に売れるような個人情報にはならない。アウトソーサーの社長といえども同じことで、アウトソーサーに渡ったときには個人情報は完全に細切れになってし まっていて原型を留めない仕組みなのだ。
 こうしてバラバラにデーター入力を終えて返送されてくるデジタル化された細切れ情報を日本のクライアントサイドで元の完全な契約者台帳に自動的に組み上 げられるのだ。データーの送信から完成までの所要時間が2分弱というこの処理には高度のIT技術がフル活用されている。スキャナー・システムも日本の企業 側に設置するので、この企業の一部の担当者以外には誰も個人情報に接することが出来ないという仕組みである。すでに、数十の市町村で使い始めているとい う。なかなか行動の早い市町村もあるのだなーと感心した。
 用心のためにデーター入力をすべて社内でやっている組織も多いが、このシステムを導入しておけば、一人の責任者以外は社員といえども細切れ情報にしか接することが出来なくなる。しかも膨大な人員削減が可能になるのだ。このIT活用の知恵は如何?

ネットの憂鬱 (NBonline「経営新世紀」 2007/08/31)

インターネットがいかに便利で、我々の生活をいかに劇的に変えてくれたかは論じ尽されている。もちろんITの西岡としてはそれに異論はない。しかし一方 で、多くのネットユーザーたちがネットの憂鬱に悩まされてもいる。今回はそのグチにお付き合い頂きたい。
 ネットの憂鬱の一つ目は言わずと知れた「スパムメール」だ。PCへのメールにはいろいろとスパムメール防除策を講じているが、向こうも対抗策を講じてい るのでイタチゴッコである。一向に減る様子がない。私のようにPCへのメールをすべて携帯電話に転送して、携帯電話が繋がる限りはどこにいても睡眠中を除 いて、仕事に関わる重要なメールを逃さないようにしている者には、携帯電話に転送されてくるスパムメールは正に憂鬱の種だ。
 仕事上で大切なメールを待っているときなどは、パンツの後ろポケットに入れた携帯電話がブルブルと震える度に取り出して、「とじたらロック解除」と 「メール制限解除」のセキュリティナンバー(いずれも4桁)をタイプインし、やっと受信ホルダーに辿り着いたら、待ち構えているメールの替わりにスパム メールのオンパレードだ。本当にムカッと来る。しかも、文句を言って行くところがない。ムーと怒りを胸にしまわなければならない。これは憂鬱だ。
 先日も、本職であるベンチャーキャピタルに関連する真面目な組織名の差出しで、真面目な内容の文面(英語)にいっぱい画像をダウンロードして下さいとい う構成のメルマガが配信されてきた。このメルマガはよく送られてくるもので、いつもは内容を見ずに直ちに削除していたのだが、今回は世間がお盆休みで受信 メールの数が少なかったので、試しに「配信停止」を返信してみた。すると現れたのは、よく出てくるシステムからの警告文だ。

要するに「返信をするにはコンテンツをダウンロードする必要があり、これを行うと迷惑メールの数が増える可能性があります」という、つまりダウンロードは 危険ですよというシステムからの警告である。こんなのをうっかりダウンロードしたら何が起こるかわからない。試しに、送信アドレスを宛て先欄にコピーして 「配信不要」と送信したら、直ちに「The following addresses had permanent fatal errors」要するに「そういうアドレスはありません」と返信が来た。危険なメールである。今後は自動的に削除済みファイルに入れるように登録をした が、こんな手間を掛けさせられるだけで憂鬱だ。むかーっ×むかーっ!だ。
 次なるネットの憂鬱は、「当メールは、過去に名刺交換させていただいた皆様にBCCでお送りしています……」という書き出しで送られてくる、怪しくはな いが押し付けのメールマガジン類だ。うっかりすると、こういう勝手な都合で送られてくるメールのために重要なメールを見落としてしまうので、押し付けがま しく送って欲しくはないメルマガが多い。中には「重要」という注意書きまで付いている。こっちは興味も無いのに、差出し人が勝手に重要と決めてもらっても 困るというものだ。盆休みの間にこういうものに片っ端から「配信停止」を返信したのだが、「配信停止」を指示する手順がきっちり用意されていないメルマガ も多い。名刺交換で一度入手したアドレスは絶対逃したくないといった送り手の本音が垣間見られて、良い気持ちのしないものだ。「企業の品格が問われます よ。経営者はきっちりチェックしなさい」と申し上げたい。
 また、義理のある人がやっている組織からのメルマガの場合には「配信停止」の指示を返信することさえ気兼ねするものだ。先日も、たびたび送られてくる が、興味が無いので読まずに削除し続けていた、ちょっと義理ある人の会社からのメルマガに、一大決心をして「配信停止」の返信をした。そうしたら直ぐに、 当の義理ある社長から丁寧なお詫びの返信が届いたではないか。どうも自動返信ではないらしく、「西岡さん、ご無沙汰しております。常々ご指導ありがとうご ざいます。配信停止の件畏まりました。大変ご迷惑をお掛けしておりました。今後ともこれに懲りずにご指導下さい。何野何兵衛」とあるではないか! 何野何 兵衛さんには不義理となってしまった。これは大いに憂鬱だ。良し悪しを論じているのではなく、憂鬱なのだ。何野何兵衛さんだって、こんな場合は「知らぬ振 りの伝兵衛」を決め込んでいてくれたら共に気まずい思いをしなくてすむものを……。
 ああーっ、ネットは憂鬱だー!

Be innovative! イノベーションは誰にでも起こせる (NBonline「経営新世紀」 2007/07/27)

本連載第3回「メールの効用」で、メール仲間の黒川清・内閣特別顧問(日本学術会議前会長)と石倉洋子・一橋大学ICS教授と西岡郁夫の三人で、若いビジ ネスパーソン対象に「イノベーション」に関する鼎談をやることがメールでパンパンと決まった、という話をした。その鼎談の中身に関しては次回で紹介するこ とにして、今回はその鼎談でいろいろ感じた西岡自身の思いを綴っていく。
 まず、イノベーションとは何か?
 シュンペータが論じるようにイノベーションは技術革新に限らない。サービスやマーケティングや資金調達のイノベーションもある。日本企業の競争力を向上 させることを目的として、一橋大学ICSの竹内弘高教授がマイケル・ポーターを口説いて創設したポーター賞の、昨年の受賞企業の中には中古車販売のガリ バーや中古書籍販売のブックオフが含まれる。これらの会社はビジネス・モデル・イノベーションという点から高く評価されたのだ。
 私は歴史上でもっともイノベーティブな人として坂本竜馬が好きだ。列国の経済力や軍事力に対抗するためには、鎖国に拘泥する幕政に終止符を打って市場経 済を導入するべきと、脱藩をしてまで立ち上がったのだから、正に創造的破壊の象徴だと思う。織田信長もクロネコヤマトの小倉昌男さんもイノベーターだ。技 術革新とは無縁なところにイノベーターはいっぱい居る。もちろん、イノベーターとしての大小もいろいろだろう。しかし、大切なことは、そして本稿で言いた いことは「イノベーションはこうした歴史上の大物だけのことではない」ということだ。「誰でもがそれぞれの持ち場でイノベーティブであるよう努力できる」 のだ。そして、小さいイノベーションの積み重ねが社会のイノベーションに繋がる。
 野中郁次郎一橋大学教授は:(前略)「イノベーションの本質は、人間が自分の主体的な思いを貫いて実現するために、全人格を懸けてあらゆる障害を越えて いく、そんな全人的なコミットメントにあるのではないでしょうか。いくらきれいな資料を作って見事な分析をやったところで、だから何なんだ、何をやりたい んだ。こう申し上げたいんですね」(後略)と言っておられる。
 「全人格を懸けて」「全人的なコミットメント」と聞いて臆することはない。「歴史的な創造的破壊だけがイノベーション」と言われているのではない。恋人 を愛するのに全人格を懸けるだろう。会社における自分の小さな所属から「全人的なコミットメント」をもって新製品提案が出来るし、マーケティングプランを 提案できるのだし、この中から歴史的なイノベーションも生まれるのだ。日常のイノベーションの積み重ねがなければ歴史的なイノベーションは生まれない。
 ところで「全人的なコミットメント」の提案は、ネットでデーターを収集したりグラフにしたりしながらパワーポイントでカッコいい提案書類を作ることとは 根本的に違う。かつてインテル時代に、パソコンを普及させるためにパワーポイントの便利さを説いて回った本人としては忸怩たる思いではあるが、最近、自分 自身はパワーポイントを卒業した。いや、むしろクビにしたと言うべきか。パワーポイントは便利だが便利すぎて上滑りになる。大したことのない内容がカッコ だけ良くなる。下らない提案が文字を大きくしたり、色を変えたり、写真を加えたり、効果を付けていると恐ろしいことに内容があるように見えてくる。これは 怖い。部下が鼻歌交じりに作った「全人的なコミットメント」のないパワーポイントの資料を眺めて、それに基づいて文句を付けるだけで全社戦略を策定してい る経営幹部が日本に溢れている。こんな経営幹部に「全人的なコミットメント」はない。
 「全人的なコミットメント」のない部下の提案に「全人的なコミットメント」と危機感のない幹部たちが大企業の戦略を決めていく。これでは日本の大企業からイノベーションが生まれないのは蓋し当然であろう。

社員が燃える新日本的経営(その2) (NBonline「経営新世紀」 2007/07/06)

西岡●では、いまなぜ私たちはこうなのか?今後どうしたらいいのか?ということまで、このパネルでは踏み込まなければならないと思います。
 私自身の反省で言いますと、子供の頃に、母親から「とにかく一生懸命に勉強して良い高校、そうして良い大学に入りなさい。良い大学を出ると良い大会社に 入れて幸せになれるのだから」と言われ続けました。皆さんも憶えているでしょう?でも、良い会社って何ですか?大会社が良い会社ですか?多くの大会社は近 年大規模なリストラをして、かつて優秀な人ばかりを採用しておきながら30年たったら用済みとしてリストラしました。これが私たちを幸せにしてくれる良い 会社ですか?とにかく勉強して、良い大学から大会社に就職するという方程式はもう旧いですよね。
 たとえば、自分の親父が町工場をやっているとします。その子供が学校を卒業して嬉しそうに大会社に入るでしょう。ダサイ親父の工場に入れるか!って子供 だけじゃなく母親も同じように考えている。そういう子供たちが学校で得た知識を総動員して「親父の工場をピカピカの工場にする」と立ち上がってくれるよう な日本人、そういう若者が増えなければダメですね。大量生産、薄利多売に明け暮れる大企業だけでは日本の競争力の低下に歯止めが掛かりません。
 そんな中で、他社が作れないバリューのある商品を適切な利益を戴いて商売する「新日本的経営」のサンプルとして、先ほど、東海バネ工業の話をしました。 こういう商売の仕方はイタリアに結構多くあるのです。日本人の好むハイブランドのファッションでもイタリアは独壇場ですね。彼らは大量生産をしません。典 型的な例として、イタリアで有名なドズヴァルドの生ハムの話をします。この話の詳細を知りたい方は内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ両氏の著書『イ タリア人の働き方』(光文社新書)をお読み下さい。この本には他にもイタリアらしい働き方が紹介されています。いい本ですよ(この部分の講演の詳細はhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070619/127767/)。
 ドズヴァルドの生ハムの話で私が申し上げたいのは「商品のバリューを維持するためには大量生産はしない。お客様に評価される価値には希少価値、なかなか 手に入れられないモノへの憧れもある」ということです。ドズヴァルドは大切な美味しい生ハムを作るには良い空気が大切だから、生ハムを吊るすのに邸内で一 番広い大広間を使いました。その部屋に吊るせる生ハムが1500本だったのでそれ以上は作らなかったのです。
 こんなことが今の日本の大企業で起こったらどうでしょう。まず工場の増設ですよ。1万、2万と増産に次ぐ増産で、ついに10万本まで作ったら、お客さん がゲップをして売れ残ります。それはそうです。いまどき巷に溢れているものを買おうとは思いません。さあ、売れ残ったら今度は3割引から半額で投げ売りで す。自分が一生懸命作った商品を、自分の足で蹴飛ばして値段を下げているようなものです。大量生産、薄利多売で利益の出ない商売ばかりしていて、社員を8 万人も雇える時代は終わりました。社員が8万人ということは家族を考えると二十数万人くらい飯を食わせなければならない。あんな利益では無理ですよ。だか ら我々も大企業に頼っていてはダメなのです。
常盤●そうですね。価値のあるものを作れとか価値の創造と言いますね。価値って何でしょう。これには価値があるといくら言ってもお客さんには伝わりませ ん。価値は価格で表さないと表現できません。その価格でお客さんが買ってくれれば、確かにそれは価値がある。価値を値段で正確に表現して初めて価値がある のかないのか、お客さんと対話が成立するわけですね。つけた値段よりも価値が少なかったら買ってくれません。価値にふさわしい値段がついていれば買ってく れます。
 先ほどの話の続きですが、10万本作ったら売れなくなった。じゃあ仕方ない、半額にするかと言って叩き売ったら、自分が作った価値を自ら否定してしまい ますよね。作った社員のプライドはめちゃくちゃだし、やる気をなくします。価値をちゃんと評価してくれていないからです。このようなことを繰り返している 仕組みを直さないといけませんね。価値とはそういうことなんです。
 中小企業の中には大企業と違う、価値を大切にする立派な企業が沢山ありますね。たとえば東京に北嶋絞製作所という会社があります。大きな丸い円盤から絞 りという技術で色々なものを作っています。その社長さんは「私は一度も値段で妥協したこともないし、その値段では買えないと言う人もいない」と言っていま した。豊橋にも西島という会社がありますが、その社長さんも言っていました。自分が作ったものに対して誇りを持っていますね。
 先ほど仕事のやりがいとか「生きることと仕事を重ね合わせよう」と抽象的に言いましたが、そういう人たちはそれをちゃんとやっているんですよね。その社 長さんが「我々は腕に自信がある。作るものにも価値がある。その代わり、我々はお客さんに頼まれてできないものはない」と言うので「なぜできないものがな いんですか?」と聞くと「できるまでやるからできないものはない」と言われるんですよ。この根性がジンときますねー。ああ、これが仕事だなーと思います ね。そんなことは中小企業だからできるんだろうと言う人もいますが、そんなことは決してありません。
この前もテレビで『マツダの逆転劇』とかいうタイトルの番組を見ました(2007年5月13日放送 NHK『経済羅針盤』)。マツダがフォードと組んだと き、最初はフォード勢が威張っていたが、いまではフォードの業績が悪くてマツダが元気を取り戻している。マツダも苦しい時には工場を閉鎖するところまで落 ちてしまったけれど、社長の指導力で「素晴らしいエンジンを作ろう、いい車を作ろう!」と社員が燃え上がって、会社全体が盛り上がっていまの状況まで立ち 直った姿を放送していました。まさに夢や思いが凄いエンジン、凄い車という自分たちが誇れるモノになっていって人は素晴らしい仕事をするんですね。
 マツダの社長さんにも感心しましたが、社員もすごいなと思いました。自分たちにはお金がないから、知恵を出そうと。素晴らしいロータリーエンジンを開発 した話は前にも聞いたことがありました。それを作らせて欲しいと言ったら、フォードが生産設備の収支計算がどうとか、投資に見合う利益が出ないとかうるさ く言うので、工場の人たちが「よし、いまある設備で一銭も掛けずにやろう」と言って作ったというんです。だから、大とか中とか小とか企業の規模ではないん ですね。それから見ると、まだ大企業は甘いと思います。その甘さからは新日本的経営は出てきません。
 大量生産・薄利多売の対極に、こういう自分でしか生み出せない価値を追求する真摯な企業活動があるということを知るのは大切です。秋葉原やヨドバシカメラに行って安いとか高いとか、それとはまた違うことを大切にしなければいけませんね。
 人自身も人を評価することは難しいと思いますが、いま盛んに実力主義とか成果主義とか人を評価しようとしています。私はこうした成果主義、能力主義に対しては、かなり大きなクエスチョンマークをつけているんですが、西岡さんはどうお考えになりますか?
西岡●私は典型的な日本の会社と、典型的なアメリカの会社という両方の会社に在籍した、その経験から言いますと、本来はやはり実力主義・成果主義は正しい と思っています。ただし、日本の場合、成果主義や実力主義をあまりにも急に採り入れました。日本型経営に自信をなくした大企業が競って無批判に準備不足の ままでアメリカ方式の成果主義をサル真似したのです。準備不足とは「成果の判定方法」です。社員は正確な判定なら文句は言いません。でも、準備不足のまま で「年功序列だからこそ部長になった人」がきっちりした成果目標と判定方法も無いままに始めてしまったのです。年功序列で部長になった人がある日突然、成 果主義の成果を正確に判定できるでしょうか?判定される本人は納得できるでしょうか?ここにゆがみが発生してしまいました。
 インテルでの経験では成果判定は管理職にとってもっとも重要な仕事の1つで、成果を評価する期間は通常業務と重なってまさに地獄です。自分の部下たち全 員と、必ず前年に「あなたの仕事の目標はこれです」と合意し、数値目標を決めます。それが達成できたかを一人ひとりの部下と議論しながら成績に合意を得ま す。しかもたとえば、日本のマーケティングの部長であれば日本の社長とインテル本社のマーケティング統括がマトリクスで成績を付けます。そして両者が合意 しなければ最終成績にはならないし、成果判定でのトラブルは上司にとっても自分自身の成果判定でのマイナス点となります。この位やるから、成績を付けられ た本人も納得できるんです。
 成果主義を採り入れた日本の大会社が、ここまでやっているでしょうか?評価された部下は上司の評価を信用できていますか?彼は年功序列で部長になっただ けじゃないかと思っていませんか?そういう意味で、日本の成果主義は明らかに準備不足です。そして、成果主義はダメだー!日本人には合わないー!と逆走を 始めているのが実情ではないでしょうか。
常盤●なるほど。確かに制度だけ持ってきて、その制度のままただ数字を入れたら評価になるという運用をしようとしていますね。アメリカに限らず、成果主義 や能力主義がちゃんと機能しているところにはそれなりの文化があります。風土があり文化があり、その上の制度なのに、違う文化のところに制度だけ持ってき て合うはずがありません。人というのは大器晩成もありますから、ゆっくり育って大物になることもあります。あまりにも細かいところで評価してしまって潰し てしまうこともあります。人を育てるという意味からいうと、能力主義というのはいかにも短期的な見方だと思います。つまり、企業の決算を1年でやっていた ところを半年ごとだ、四半期ごとだというのに似てる気がします。
西岡●そういう未成熟な成果主義には問題があることは事実でしょうね。
常盤●人は成果主義の中から育つでしょうか?やはり人が育つのには時間がかかります。育ち方も色々あります。人はそれぞれ違うスピードを持っていますね。 それが議論されないまま制度だけ持ってくるとおかしくなります。スコアカードを作って点数をつけても本質的ではありませんね。
 私は、人は集団で働いた時に力を発揮すると思います。評価だ、成果だと言って、個人に焦点を当て過ぎていますが、仕事というのは個人ではできません。昨 日、NHKの『プロフェッショナル』(2007年5月29日放送)にGoogleの社長さんが出ていました。人は優れた個人よりも優れた集団で仕事をする んですね。個人というものを超えて、集団の力が企業の優劣を決めると思います。だからこそ、人は集まるんです。1人よりも集団のほうがより大きな創造性を 発揮することも大切にしなければなりません。個は集団があって初めて機能する一方で、集団は個があって初めて強い集団になります。個と集団は相互作用とい うか1つであるということも考えないといけません。集団の中にはいい人は確かにいます。そういう人は誰が見てもいいし、評価してあげないといけないと思い ます。サッカーでもゴールを決めた人は必ずいます。集団のプレーも大切ですが、ゴールを決めた人は見ていて分かります。
西岡●ちょうどお時間のようです。本日はご静聴をありがとうございました。

社員が燃える新日本的経営(その1) (NBonline「経営新世紀」 2007/06/29)

「IT道具箱」はITに関するお話を綴っていくのですが今回はちょっと寄り道です。
 5月30日にNBonlineの1周年記念行事
http://business.nikkeibp.co.jp/special/0705sem/index.html) があり、その中で花王の元社長・会長を務められ7期連続の増収増益を記録された常盤文克さんと「社員が燃える新日本的経営」というテーマで対談をしまし た。折角ですので、今回から2回はその対談を二人の対談形式そのままで、必要な修正と追加を加えて、臨場感を合わせてお伝えしてみたいと思います。


西岡●私はベンチャー・キャピタル(VC)の社長をしております。VCはご存知のように、将来性のあるベンチャー(VB)に出資する仕事です。中でも私ど もはちょっと特殊なVCで、単にお金だけを出してVBが頑張るのを待つのではなく、VBが頑張り易いようにいろいろ支援します。
 特に、VBが一番助かるのは営業力や量産力を補完してくれる大企業とwin-winで協業できることですから、私たちは私のシャープ時代やインテル時代 に培った人脈を全面的に使って大企業とVBの間のマッチメイクをします。お蔭様で私から大企業の社長にお電話やメールでお願いしますと、少なくとも最適任 の常務取締役事業本部長といった幹部を紹介してもらえます。場合によっては高名な社長自身が直接VBの話を聞いてくれます。こんなすごい人に直接話を聞い てもらえるということで、VB経営者の足が震えている時がありますよ。
 ところが、最近大きな問題があって悩んでいます。VB側は大企業幹部にプレゼンができるということで一生懸命準備してきます。一方、大企業側はたとえ ば、本部長だけではなく、副本部長、部長、課長、係長、一般の担当者と大勢が出てきます。そして、VBが一生懸命話をし出して10分も経つと、幹部以外は ほとんどの人が腐った魚の目のようなドローっとした目になってくるのです。
 技術が大したことがないというのならドロッとしないで、そう言って欲しいのですが、ただドロッとした目で話を聞いています。そんな大会社がいっぱいあり ます。ほとんど全てといっても過言ではないかも知れません。これが一番の悩みです。VBの新しい技術を活用して「よし、一丁やってやろうじゃないか」とい うような意気込みの欠片も無い。ピカッと光る眼をしていない。
 技術を評価する前に、「イヤだなー、また難しい仕事が増えるかも知れないなー」というような顔をしているんです。景気の回復で業績急上昇の報に接するこ との多い今日この頃ですが、大企業の内部では実はむしろ従業員の心の腐敗が進んでいるのではないだろうかと、深刻に心配しています。
 今日は、こういう問題意識の下で、常盤先生とこういうことをどう解決していったらいいのか、日本の経営はいったいどこに行くのだろうか、新日本的経営とはどういうものなのかということを話し合いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
常盤●今日は西岡さんと色々お話しさせていただくことになっておりますが、その前に、私が最近気になっていることをお話ししたいと思います。それは、世の 中が“デジタル社会”と称して社会も企業もデジタルの方向にどんどん傾いていることです。デジタルが悪いという意味ではありませんが、あまりにも傾きすぎ ているのではないか?アナログの方にちょっと針を戻さなければならないのではないか?と考えています。
 たとえば“見える化”とか“測る化”とか、何でも見よう、デジタルの数字で表そうと懸命になっています。しかし、物事とか事象はそもそもアナログです ね。色々なものが混ざっている。そこからデジタルなものだけ引き出して、無理に数字にして見えるようにしてしまう。これはこれでできる限りやったらいいと は思いますが、デジタルで持ってきたものを、いかにも元の本体であるかのような錯覚を起こして、デジタル化したものが一人歩きしていってしまう。
 たとえば会社の評価というものも、売上や利益や株価、あるいは株数と株価を掛けたものが株式時価総額として企業の価値だというように会社を見るように なってきてしまっています。私はデジタル化しなかった部分、つまりアナログの部分に物事の本質が隠れていると思います。いわばデジタル化できなかったアナ ログの部分に、企業の、あるいは社員の最も良質な心というか感性の部分が取り残されてしまっているのではないかと。今日の対談では、この切り落としてし まったアナログの中に、実は仕事の本質があるのではないかということを申し上げたいと思っています。
 お金を中心に物事を考えていくと、デジタルな数字を追うようになる。しかし、その対極には人の心があります。この心の方に中心を置いた企業の経営がある のではないか。つまり、働く人たちの仕事のしがいや仕事を達成した時の喜び、あるいは作った物を使っていただいて感謝された時の喜びを大切にしなければな りません。しかし、こういうことが本当にうまくいっているのか、私はどうしても気になって仕方がないわけです。
 夢を追いかける時、人は燃えます。いくら株価が上がっても社員は燃えません。この辺のところをこれからの企業の軸にして、人の幸せ、従業員の働く喜びを 尊重しながら、一方でちゃんと利益も上がっているという会社が、中小企業にも大企業にも沢山あります。このあたりが、本日のテーマに掲げられている『新日 本型経営』を探っていく1つの切り口になるのではないかと思っています。
 もう1つ、ビジネススクールやMBAのコースではビジネス戦略から始まって色々なケースを勉強します。これをいいとか悪いとか言うつもりはありません が、そのアプローチの中で、我々は仕事を細かく分析して数字を付け、理屈を付けて、仕事を分解してしまう傾向があります。ビジネスは本来科学ではないの に、科学にしようとして、どんどん細かく解析的にしてしまいます。本来仕事とはアナログであり、もっと包括的にとらえようとか、そこにはお金ではなく人の 心が宿っているということに目を付けなければ、今のビジネススクール的な教育の中には日本的な企業の強さは出てこないのではないかという心配もしていま す。
西岡●常盤さんのお話の中で、中小企業の中に本当にきらっと光る会社があるというお話がありました。以前、私が「すごい会社がありますよ」とご紹介し、常盤さんにも見学していただいて、ご本にも取り上げていただいた……。
常盤●東海バネ工業ですね。
西岡●はい、会場のみなさんにも日本企業の本当の強さを体現する会社の例として東海バネ工業のご紹介をしたいと思います。
 本社は大阪、工場は新大阪駅から近い北伊丹にあります。バネを作る会社です。バネにはコイルバネや皿バネがありますが、ほとんどのバネメーカーは他社の 製品と同じ、特徴の無いバネを大量生産・薄利多売で売るため、バネはコモディティ商品となっています。中には単価が1円を切るものもあるそうです。その中 で、東海バネ工業は、たとえば、皿バネ1つ15,000円あるいはもっともっと高い価値を認められて商いをしています。たとえば、放送用ビデオカメラの開 発技術者が新しいメカを開発したいとき、量産メーカーのカタログには欲しい特性のバネは載っていません。そういう時、東海バネ工業に問い合わせればちゃん と作ってくれるんです。
 しかも、実験用には1個か2個しか必要ないでしょう。そういう微量の特殊なバネを新規に開発するのが東海バネ工業の得意技です。納期もピッタリ合わせま す。原子力発電所や台北の高層ビル101や何トンものプレス機で600万ショット以上を実現しようとすると東海バネ工業にしか適応するバネは作れないと言 われています。よそにないものを新しく開発する。多品種微量生産を得意としているのです。IT経営百選最優秀賞に選ばれるなど経営へのIT活用も活発で、 業績もすこぶる好調です。
 私はここの見学ラインを見てびっくりしました。2人の若者が真っ赤に燃えた太くて長い鉄の棒を炉から火箸で挟んで取り出し、6軸制御という世界でここに しかない制御器に乗せるんです。あとは自動的に巻き取ってすごいバネができます。この職人さんたちが特殊鋼を置いて自動機のスイッチを押しながら私たちの 顔を「Any question?」という顔で見るんです。
 もう少し行くと今度は少し年配の職人さんが、真っ赤に燃えるコイルバネを炉から出してスパナで最後の調整をするんですが、また「Any question?」という顔をするんです。みんな自信たっぷりで顔が輝いています。渡辺社長の偉いところは、職人さんたちに働く喜びを与えていることで す。ああいう仕事をしている職人さんたちは泥まみれ、汗まみれになって働いて、家に帰ったら「ただいまー!!」と言っていると思います。そして奥さんが用 意した晩酌を美味しく飲んでいると思うんです。嫌々ながら仕事をさせられている人間とは全然違うんです。ここの職人さんは「俺が作ったバネが、あのビルの エレベーターを支えている」と使われている現場を知っているんです。さっき常盤さんが言われた、人が光っているし、職場が光っている、そういう例じゃない かと思うんです。
常盤●僕も東海バネの工場を見せてもらった時に感じました。これもアナログの話なんですが、要するに気が漂っているんですね。人って分かりますよね、目玉 が輝いているとか。気とは元気の気ですが、その工場全体に気が漂っている。今、職人さんが素晴らしい腕だというお話がありましたが、それだけでなく、現場 で原料を出し入れしているおじさんの目も輝いていた。原料を出し入れしているだけだけれども、「俺が使っている原料はこんなに素晴らしいんだ」とか「こん なに仕事に苦労があるんだ」と一生懸命説明してくれました。やっぱり仕事の本質はこういうところにあるんだな、これを今の企業は忘れているのではないかと 思います。利益も売上も株価も大切です。しかし、それだけではないだろう。こうやって自分の生き方と働き方、そして自分の人生を重ね合わせて生きていくと いう生き方に新日本的経営の姿があるのではないかと本当に感じました。
 こういう会社は他にも沢山あります。たとえば、豊橋に樹研工業という会社があります。この会社では社長さんが100万分の1グラムの歯車を作るんだと、 とんでもない旗を立てた。そしたら、社員がみんな挑戦するんです。別に大卒の秀才がいるわけではありません。みんな普通の方々で、その工員さんたちがすご い商品を作り出すんです。できたものを見せてもらいました。もちろん見えませんけれど。だいたい100万分の1グラムが見えたら嘘ですよね。ちょっと影が あるので、これだと信じざるを得ないんですが、精度はともかく人ができないことに旗を掲げるということがすごいですね。
 「どうしてこんな小さなものを作るんですか?誰が買ってくれるんですか?」と聞くと、「いや、知らない。俺はこれを作りたいだけなんだ」と社長が言うん です。やっていることをインターネットで発信すると、世界中からお客さんが集まってくるというんです。これだけ細かいことができる会社は素晴らしいはずだ と、特にスイスあたりの会社がすごく注目してくれる。会社の素晴らしさ、技術に惚れ込んで注文が集まってくるというんです。しかし、社長は「俺はこれが嬉 しいわけじゃない。俺は100万分の1の歯車を、普通の工員さんたちが挑戦して作ってくれたことが嬉しいんだ」と言っていてね、これはすごく大切ですね。
  私は最近“コトづくり”ということを提唱しています。“コト”とはリーダーに夢がある、思いがある、こんなことをやろうよと夢を掲げ、社員たちがそれに共 鳴して挑戦する雰囲気です。しかし、それを実現する仕組みや仕掛けがなければ、いくら夢を語ってもしょせん夢は夢のままです。その夢を実現させるような仕 組みを作るのが上手なんですね。そこに集中的に資金を投じる。あるいは、失敗しても、頑張れと背中を押して手を引っ張ってあげるとか。そういう社員を燃え 上がらせる仕組みの中から素晴らしいものが生まれてくるのではないかと思います。
 先ほど東大の宮田(秀明)先生
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070614/127332/) のお話で、創造、創造といくら言ってみてもダメだという話がありました。確かに、会社ではよく「創造性を発揮していこう」と言います。私もだいぶ言ってき ましたが、これは全然有効ではありませんね。創造ではなく、湧き出てこないとダメなんです。“創湧”という言葉、つまり中から湧き出てくる、新しい燃える 価値のような仕掛けを作ること。もう一度繰り返しますと、“コト”とは、夢や熱い思いを実現する仕組みや仕掛けが詰まっている創湧の箱というイメージで す。その箱の中で仕事をしている人たちは素晴らしい。燃えている結果として利益が生まれてくるんです。最初に、儲けようというのではありません。人は本来 持っている素晴らしいものの10分の1も使っていないと思います。しかし、それを上手に湧き出せると素晴らしい会社になりますね。現にそういう会社も沢山 あるんです。

一番優秀な学生はベンチャーを作る (NBonline「経営新世紀」 2007/05/25)

かつてインテルUS本社の幹部会で人事担当副社長がボヤいていた。「一番優秀な学生はベンチャーを作り、次に優秀な学生はベンチャーに就職する。そして、 全然だめなのがインテルのような大会社に来る。困ったことだ」という訳だ。もちろん、主としてIT分野の話である。ところが、99年ころには状況が一変 し、「一番優秀な学生はGoogleに就職するようになった」という。
 先日、私が社長を務めるモバイル・インターネットキャピタルのファンド集会を開いた際、参加者へのサービスとして、いま、インターネット業界で一番旬の テーマである「Googleは何をしようとしているか」をGoogle日本法人の村上社長にご講演をして頂いた。超多忙の村上社長が、「義理のある西岡さ んの要請では断れません」とGoogleの戦略やそれを可能にするGoogleの秘密を楽しく話してくださった。
 ご講演の後での質疑の中で村上社長は、「日本の大学でもIT分野の最も優秀な学生がGoogleに就職する傾向が顕著で、多くの大学教授から、 『Googleが優秀なのをみんな持っていく』と叱られます」と言っておられた。Googleの研究開発センターは世界各地にあり、日本は世界で4番目に 設立された。そこでも最優秀の学生が集まっているということは、世界中で優秀な学生がGoogleに就職していることになる。世界中で最優秀な学生が自分 でベンチャーを起業せずに、ベンチャーから大企業にのし上がったGoogleに就職する。何故だろう?
 答えは決まっている。GoogleにはITの研究開発のための世界最高のファシリティが完備されているからである。それはネットワーク化された世界最大 のコンピュータ・システムだ。世界中のインターネット上の膨大な情報をキーワードに基づいてたちどころに検索するソフトウェア技術を持ち、新技術を研究開 発してユーザーに提供し続けるGoogleは、研究開発に用いる膨大なコンピュータ・システムを低価格で実現するために、全て手作りしているという。膨大 な規模のコンピュータ・システムを構築するのに市販のコンピュータを利用していてはコストも膨大になる。そこで、GoogleはインテルやAMDから旬の 過ぎたマイクロプロセッサーを捨て値で大量に購入して、世界最大規模のサーバーを手作りで構築して活用しているのだ。
 このものすごい規模のサーバー環境は若いIT技術者にとって大いに魅力的な研究環境なのである。最優秀な学生がGoogleに就職するのは高給やストッ クオプションのような報酬だけが理由ではない。どんなに優秀な研究者でも研究環境が貧弱では、本来可能な研究が不可能になり自分の能力を限界まで活かせな い。Googleの研究環境ならどんなトッピで奇想天外な発想でも実現させて、世界中のインターネット・ユーザーを狂喜させることが出来る。他の大企業で は短期に利益に繋がる研究しか、させてもらえないが、Googleなら自由闊達に夢を追わせてもらえる。彼らにとってこれほど嬉しいことはない、世界最高 の働く環境なのである。
 自分のベンチャーを起業するのはGoogleでWeb2.0のインターネットの世界を十二分に体験し、技術のトライアルをして技術力を高め、ビジネス能力を磨き、最適のビジネス・パートナーを見つけてからでも遅くはないのだ。

IT化で街の電柱が喘いでいる (NBonline「経営新世紀」


ヨーロッパを旅することの楽しみの一つは、中世時代の美しくて落ち着いた雰囲気の街を歩くことだ。東京のようにはせかせかしておらず、時間がゆっくり流れ ている。あるとき、「この街は先の大戦で塵芥に帰してしまったはず。旧き中世の街並みが残っているのは何故だろう」とホテルのコンシェルジュで質問したこ とがある。日本人らしい野暮な質問であった。コンシェルジュの女性が胸を張って、「戦後、街の再建に際しては、破壊される前の街の設計図を元に完璧に昔の 街を再現した」と言う。
 彼らは自分たちの街に愛着を持っている。だから、建物には高さだけではなく、デザイン、色にも厳しい制限をみんなで課している。全く同じ色のレンガ、同じ色の屋根瓦しか許されない街は結構多くの国にある。美しい。
 それでいて、ビルの内部の使い勝手は悪くない。私はスウェーデンの首都ストックホルムに良く行くが、旧く見えるビルの内部は設備が完備されており、冷暖房はもとより、高速インターネットの接続も十分に行き渡っている。
 日本はどうだろう。ほとんどの都市で自由奔放にビルが乱立し、デザインや色合いにも統一感が無く、いや統一させようとの気配も無く、街並みとしてのアイ デンティティがまるで存在しないことが通常だ。東京の田園調布は家の転売に際して一区画が小さくならないよう制限して街の美しさを保っている例外的な存在 だろう。
 このことを話し出せばきりも無いし、すでに語り尽されているのに一向に問題解決には向かわない。日本人はこれほどに美意識が希薄なのか、野放図な人種ということか。きっと行政の品格の問題だろう。
 さて、そんな貧しい街並みをもっともっと貧しく、汚くしている原因の一つは電柱だ。あんな無粋で邪魔なものは本来、地中に埋めるべきものだと思うが、我 国では一番安易な方法である電柱が幅を利かす。街中に電柱だらけで景観を壊し、それでなくとも狭い道幅をもっと狭くしている。銀座や丸の内界隈が整然と見 えるのは電柱がないことが大きく貢献している。
 ところが最近、その電柱がどんどんより重装備に、もっともっと無粋になってきている。インターネットの常時接続家庭が急増し、そのためのファイバーが電 柱から家庭に配られる。配線工事会社のトラックが工事をする姿をみなさんもいつもご覧になっていると思う。これによる景観の破壊は大変なものだ。
 電柱というこの知恵の無さの象徴をいつまで温存させるのでしょう。その知恵の無さの象徴が最近のIT化でますます太い配線を縦横に巻き付けられて喘いでいます。

メールの効用 (NBonline「経営新世紀」 2007/03/30)

前稿で、私の交友範囲でメールの返信の速い人たちをご紹介したが、その影響で面白いことが起こった。今回はそのご紹介だ。
 「幹部だからこそメールを」がNBonlineにアップされたとたんに、石倉洋子さから、

『西岡さん、褒めてくれてありがとう。一緒に褒めてもらった黒川さんと私と、褒めてくれた西岡さんとで若いビジネスパーソンを対象にイノベーションをテーマに鼎談でもやらない? 何かアイディアは? 石倉』
と返信があり、このメールがccされていた黒川さんからも、

『thanks for this info Yoko-san, and Nishioka-san, for quoting me.』
と直ちに礼状(黒川さんはいつも英文)が来た。
 石倉・黒川・西岡でイノベーションに関する鼎談が出来れば面白いなー!と思ったので、お二人には、

『考えましょう。問題は最も効果的に影響を与えられる場の演出ですね。新しい丸ビルのオープンに当たってイベントを組みましょうか。ちょっと当たってみます。西岡』
と返信をしておいて、丸ビル東京21cクラブをマネージしておられる三菱地所の田中克徳さんに以下のメールを出した。以下、田中、石倉、西岡のメールによる相談である。

『田中さん、西岡から相談です。日本学術会議前会長で現内閣特別顧問の黒川清さん、一橋大学ICS教授の石倉洋子さんと西岡郁夫で若いビジネスパーソン対 象にイノベーションに関する鼎談をやろうかということになりました。折角やるなら何か影響力のある場を作りたいので、たとえば、新しい丸ビルのオープンに 関連したイベントといったチャンスはありませんか? 西岡』

『西岡さま、お世話になっております。現状考えられますのは:(1)丸ビルホール(最大400名)を移転後のクラブ全体イベント第一弾として7月9日 (月)に押さえております。(2)5月中など、早い時期なら、移転後の新丸ビル10階の21cクラブオープンスペース(100名程度)が確保可能です。取 り急ぎ。 地所 田中』

『田中さん、早速の返信をありがとう。7月9日(月)、丸ビルホールでの移転後のクラブ全体イベント第一弾が最高です。地所の木村社長にも参加してもらいましょうか。西岡』

『西岡さま、7月9日(月)承知しました。開催時間は集客力の高い、17:00~19:00でいかがでしょう? 尚、当日社長の木村は海外出張の可能性が 高く、流動的にお考えいただければ幸いです。企画が固まった段階で、ご相談させていただきたく存じます。当日は、毎年開催しております東京21cクラブの 全体ネットワーキングパーティも夜7時からございます。先生方には引き続きご出席いただければ幸いです。取り急ぎ。地所 田中』

『石倉さん、アイディアが固まりました。新しくオープンされる丸ビルへ移転する21cクラブのイベント第一弾が7月9日(月)に新しい丸ビルホールで開催 されます。最大収容人数は400名です。そこで、最も集客の多い17:00~19:00に黒川・石倉・西岡のイノベーションをテーマにした鼎談を企画しま す。三菱地所もOKです。7月9日は日程を抑えて頂けますか? Kurokawa-san, what about your availability in the evening of July 9th? 西岡』

『西岡さん、石倉洋子です。さすがに話がはやい!と感動しています!ありがとうございます。私は7月9日OKです。 Dr. K, how about you? Can you make it?』
 まあ、ざっとだがこういうプロセスで2日間位の間に大物たちとの鼎談が、しかも前人気の高い新丸ビルでの開催が決められた。関係者がメールをやらない人 たちなら絶対に無理だ。いまどきメールの効用を説くなど時代錯誤も甚だしいと自覚しているが、本当の効用を分かってもらいたい会社幹部もまだワンサとい る。

幹部だからこそメールを (NBonline「経営新世紀」

電子メールが普及する以前は、会社幹部とのコミュニケーションが大変だった。秘書経由だったから、時間が掛かるだけでなく、伝言は“間接話法”になる。伝 言を聞いた幹部が疑問点を秘書に確認しても、秘書は当事者ではないから答えられない。「君、そのくらいのことは確認しておきなさいよ」と言われる秘書もい い迷惑で気の毒だが、世の中の秘書には、いわゆる「虎の衣を借る狐」族が居るから、秘書のご機嫌で取次ぎのプライオリティを下げられたり、最悪の場合には 故意に忘れられたりする危険性まで存在した。ちょっと言い過ぎたかな? でも往時の秘書の顔を思い出して、強く頷いておられる方も多いことだろう。私にも 浮かぶ顔がある。
 それがいまや、社長にも直接メールが飛ばせる。パソコンへのメールを携帯電話に常時転送して、オフィスに居ないときにも直ちに返信するという、私のよう な会社幹部もいまや少なくない。新幹線車内も仕事場の延長で、常にパソコンに向かっているが、仕事の企画や執筆の途中でも携帯電話によるメールは常にオ ン。
 しかも、最近はNTTドコモのFOMAが結構繋がるようになったので、携帯メールだけではなく本格的なPCメールも新幹線車内で頼れる道具になってきて いる。だから、部下や仕事仲間との“直接話法”のコミュニケーションが途切れることは講演中や社外で重要な会議中という止むを得ない場合に限られる。
 直接話法と間接話法の差は単に時間や生産性の問題だけではない。PDCAという経営プロセスにおいて情報は全ての基礎だから、コミュニケーションの質は経営の質を左右する重大事である。
 私の交友範囲でアッという程スピーディに返信を頂ける方々を思い出すままアイウエオ順で列記してみると、石倉洋子・一橋大学ICS教授、伊藤元重・東大 教授、河原春郎・ケンウッド社長、黒川清・内閣特別顧問、小林栄三・伊藤忠社長、佐々木かをり・イー・ウーマン社長、鶴保征城・IPAソフトウェア・エン ジニアリング・センター所長、藤原洋・IRI所長、村上憲郎・グーグル社長、渡辺良機・東海バネ社長などなどだ。とにかく、話が早い。
 メールの重要性を認識して常にチェックをおろそかにしないということだろう。
 昔話はいくら時間が経っても価値が落ちないが、我々のビジネスの話は商材があって、それを支える技術があって、競争相手があって、受け容れる市場があっ て初めて商材の価値が決まる。だから商材の価値は日々移り変わる。鮮度が重要である。だからビジネスでスピードは命だ。
一方、いまだに自分ではメールをやらずに秘書や部下経由の社長さんたちとお付き合いをするのは、これは骨が折れる。ディナーにご招待したときなどのお礼状 を毛筆のお手紙で頂いてしまうと、さあ大変だ! 毛筆のお手紙にメールで返信というわけにはいかないではないか。ワードで文案を決めたあと、使い慣れない 万年筆で書き潰し、書き潰ししながら清書をする羽目になる。メールで頂いたお礼状には間髪を入れずに返信が出来るし、それにさらに返信が来て次の食事会が 決まり、ではAさんもお誘いしましょうかと話が発展する。この「手軽さが話の発展を産む」ことが重要なのだ。
 まだ始めておられない幹部のみなさん、幹部だからこそ話の大きな発展が期待出来るのです。メールを始めましょう。

データベース検索の陥穽 (NBonline「経営新世紀」

このコーナーで連載をすることになりました。毎回、ITや経営にまつわる話題を西岡郁夫流に綴っていきます。宜しくお付き合い下さい。
 第一回目のテーマは「データベース検索の陥穽」とした。その心は?
 いまやパソコンやインターネット無しでは仕事にも遊びにもならない。ほとんどの情報交換は社用もプライベートもe-mailになってしまったのは読者の方々もみなさんご同様だろう。
 私の場合は、新しいベンチャー支援策を考えたり、そのためのイベント案を練ったりという本業だけでなく、執筆、講演の内容作りなどもパソコン無しでは何 も進まない。紙の上にペンを構えても何も考えが浮かんでこないが、パソコンのキーボードに手を置いてWordやPowerPointやメールソフトを開く とテーマに関して何だかんだとアイディアが浮かんでくる。それを思いのまま打っていくと、それに触発されてまた新しいアイディアが出てくるものだ。こうし て出来上がっていく内容を読み返して適当に文章の順番を変えたり、表現を工夫したりと推敲を加えていくとだんだんとアイディアが固まっていく。いまこうし て作っている文章も事前に何か腹案が在ったわけではなく、テーマを決めて心に浮かぶ内容を顕在化していっているのである。
 もちろん、途中で何か情報が欲しくなる。不明確な記憶を確認したくなる。昔なら百科事典を引いたり、最悪の場合は図書館にまで行かなければならなかった 事態である。いまはパソコンがネットに常時接続されているので、すぐにGoogleに入って検索できるし、Wikipediaも強い味方だ。同じ姿勢で必 要な情報がパソコン上に入手できる。こんな便利なことは無い。しかも同じことが新幹線の中でも出来るのだ。
 仕事が捗るのはよいが疲れてもくる。週末はゴルフにでも行くか?と思うと直ぐにブックマークされたHPに入って予約状況を検索し予約をする、友達に誘い のメールを送る、ゴルフ帰りに食事となるとYahoo!グルメで検索して予約となる。多くの読者も日ごろやっておられることだが便利なことこの上無い。
 しかし、待てよ! 世の中には一方的に好いことばかりというのは少ない。諸刃の剣とか好事魔多しとか言うように好いことには悪いことが付きまとう。こんな便利なデータベース検索に落とし穴は無いのか?
 ある。便利なデータベース検索には陥穽があるのだ。
 たとえば、上司から「最近、NTTドコモがおサイフケータイで新サービス開始との新聞報道があったが当社への影響を報告せよ」と命じられたとする。発表 記事を読んでいないと、慌てて新聞を順番に取り出して探し始めることになる。「NTTドコモ、おサイフケータイ、新サービス」とキーワードをつぶやきなが ら紙面を捲っていると「GoogleがYouTubeを買収」との記事が目に飛び込む。「なにー! この方がずっと我が社に影響が大きい」と飛び上がる。と言った経験が無いだろうか。
 このように人間の検索能力は柔軟である。キーワードが一致しなくても、分野まで違っても脳は一瞬に自分の重要情報であることを嗅ぎ付ける。これは現在の データベース検索では出来ない。データベース検索ではキーワードが一致する情報があればマッシグラに直進できるが、キーワードが一致しないと実はもっと重 要な情報でも無視される。スピードは速いが曖昧な情報収集は出来ない。これは危険である。これがデータベース検索の陥穽だ。デジタルの陥穽と言ってもよ い。
 最近の若者は単細胞が多い。先生に教えられ、試験に出ることしか頭に残さない。仕事のスピードは速いかも知れないが、命じられた仕事しかしない。こんなデジタル人間がデータベース検索手法のみに慣れ親しんで、人間らしい情報処理を忘れたら、と想像すると空恐ろしい。
 デジタルで単細胞な高速検索を取るか、アナログで低速だが人間らしい検索を取るか? 答えは二者択一ではなく両者の特徴を理解して使いこなすことである。