2008年2月29日金曜日

「西岡郁夫の手紙」の連載を再開しました

丸の内「西岡塾」のホームページの刷新を契機に「西岡郁夫の部屋」を作って連載を再開することにしました。最近は、日経オンラインのNBonlineの経 営新世紀への「西岡郁夫のIT道具箱」やリクルート発行の月刊誌アントレへの「西岡郁夫のビジネス流儀」を連載してきましたが、今後は西岡塾での連載をメ インにやっていきます。経営、IT、中小企業などがキーワードですが、ときどきは通勤電車に揺られいてほっと気付いたことなど気軽に書き綴って生きたいと 思います。ご愛読頂ければ幸いです。

また、この連載の中に「男子厨房に入るべし」という料理に関する随筆もときどき潜り込ませようと思っています。ご挨拶で述べているように、経験も短く、料 理教室に通ったことも無く、ただ気楽に楽しんでいるだけの料理です。そんな料理ですが結構美味しいですよ。自画自賛ですが、家族も時々「美味しいー!」と いってくれます。それが楽しみで、時には週末の2時頃から夕食までずっとキッチンで働き続けることもあります。自分が作ったレシピももちろん、ありませ ん。もっぱらレシピ本に頼っています。しかも理科系人間だから実に正確に書いてある通りに調理します。
僕が料理をする上での自分へのルールが2つあります。
① 料理は原則として冷蔵庫の中にある食材を使うべし
② 料理人は片付けをしてこそ料理人なり
です。
さて、最近の週末のランチのご紹介です。
① カポナータはイタリアのシチリア地方の名物料理。夏野菜のトマト煮です。レシピにある赤、黄色のピーマンが冷蔵庫に無かったので、その代わりに使えそうな ものを総動員しました。ズッキーニ、ナス、玉ねぎ、セロリ、サツマイモ、オクラ、ジャガイモを一口大に切り、オリーブオイルを中火で熱してニンニクの香り を出し、火が通ったらホールトマトの缶詰を加えて煮込みます。香り付けのハーブはバジルとセージだがセージが家庭菜園になかったので僕が買ってきた名前の 知らないハーブを使った。


健康的だとなかなか好評でした。
僕が大好きで頼りにしているレシピ本を紹介します。もし作る人はそちらを参考にして下さい。
カポナータは④を参考にしました。
① 「晩酌レシピ」飲み屋のお母さんが作る体にやさしいおそうざい (オレンジページブックス)宮澤民子
② 「男のイタリアン」 (オレンジページブックス―男子厨房に入る)
③ 「南イタリアのトマト家庭料理」-マンマの味のすべてがわかる (Magazine House mook)
④ 「イタリアのシンプルレシピ-簡単で毎日おいしい、マンマの料理がお手本です(オレンジページブックス)
などなどです。これ以外にケーブルTVの「フーディーズTV」も参考にしています。ただし、調味料の分量は、砂糖は6割、醤油は割りと家庭の味にカズタマイズしています。

膨大な書類データ入力にITの本領発揮 (NBonline「経営新世紀」 2007/09/29)

外国に安い労賃を求めて何でもかんでもアウトソーシングすることに、セキュリティ問題という歯止めが掛かってきている。アウトソーシングする内容によっては秘密厳守しなければならない個人情報の漏洩問題がネックとなっているようだ。
 たとえば、多くの企業や自治体などでは昔から紙媒体で保存されてきた膨大な量の個人情報がある。住民台帳やアンケート用紙、世論調査票、各種契約書類な どなどであり、中には手書き書類も数多くある。紙のままや手書き書類では検索や統計などに使えないので、これらをデジタルデーターに変換する必要があるの だが、書類を見ながらキーボードでコンピュータにインプットするのは膨大な作業であり、是非とも低賃金の作業者を使いたいのだが、個人情報がオペレータに 丸見えになるため種々の漏洩経路が発生することになる。
 このインプット作業を中国を中心に賃金の安い外国企業にアウトソーシングすることが一般的だが、文書データーをそのアウトソーサー企業に託さなければな らないので、外国側での情報漏洩を防ぐ手段が外国企業任せになってしまう。これでは日本企業側の責任が果たせないから確かに重大問題である。
 何も外国企業は安易に情報漏洩をすると差別発言をしているのではない。情報漏洩を防ぐためのオペレータの日常行動や文書保管方法などの諸々の管理が外国企業側に委ねられるのでは、依頼側である日本企業の責任が果たせないのが問題なのだ。
 では、他社にアウトソーシングせずに全ての個人情報に関わる情報インプットなどの作業を自社内でやっていれば安全だろうか? 答えがNo!であることは種々の事故でご存知の通りだ。正社員と契約社員に関わらず不心得者による漏洩事件は引きも切らない。
 ところが、アウトソーシングするか否かに関わらず、この問題をIT技術で一気に根っこのところから解決した賢い日本のベンチャーがいる。その知恵に感心してしまったのでここでご紹介したい。
 仕組みから説明すると、膨大な紙媒体の文書をスキャナーで読み取ったあと、データーをそのまま外国サイドに送るのではなく、このデーターを木っ端微塵に分解してからアウトソーサーに送付するのだ。
 保険の契約書を例に取ると、アウトソーサーの某オペレータには契約書データーの中から契約者の生年月日のたとえば生年だけしか配信されない。契約者が私 なら1943だけだ。だから、このオペレータは日がな一日、1975、1963、1981……とキーボードで打ち続けている。隣のオペレータは契約者が男 に○をしてあれば1、女に○なら2と、1か2しか打たない。その隣では、西岡、山本、田中と姓だけを打っている。だから、これではたとえ悪意があっても、 人に売れるような個人情報にはならない。アウトソーサーの社長といえども同じことで、アウトソーサーに渡ったときには個人情報は完全に細切れになってし まっていて原型を留めない仕組みなのだ。
 こうしてバラバラにデーター入力を終えて返送されてくるデジタル化された細切れ情報を日本のクライアントサイドで元の完全な契約者台帳に自動的に組み上 げられるのだ。データーの送信から完成までの所要時間が2分弱というこの処理には高度のIT技術がフル活用されている。スキャナー・システムも日本の企業 側に設置するので、この企業の一部の担当者以外には誰も個人情報に接することが出来ないという仕組みである。すでに、数十の市町村で使い始めているとい う。なかなか行動の早い市町村もあるのだなーと感心した。
 用心のためにデーター入力をすべて社内でやっている組織も多いが、このシステムを導入しておけば、一人の責任者以外は社員といえども細切れ情報にしか接することが出来なくなる。しかも膨大な人員削減が可能になるのだ。このIT活用の知恵は如何?

ネットの憂鬱 (NBonline「経営新世紀」 2007/08/31)

インターネットがいかに便利で、我々の生活をいかに劇的に変えてくれたかは論じ尽されている。もちろんITの西岡としてはそれに異論はない。しかし一方 で、多くのネットユーザーたちがネットの憂鬱に悩まされてもいる。今回はそのグチにお付き合い頂きたい。
 ネットの憂鬱の一つ目は言わずと知れた「スパムメール」だ。PCへのメールにはいろいろとスパムメール防除策を講じているが、向こうも対抗策を講じてい るのでイタチゴッコである。一向に減る様子がない。私のようにPCへのメールをすべて携帯電話に転送して、携帯電話が繋がる限りはどこにいても睡眠中を除 いて、仕事に関わる重要なメールを逃さないようにしている者には、携帯電話に転送されてくるスパムメールは正に憂鬱の種だ。
 仕事上で大切なメールを待っているときなどは、パンツの後ろポケットに入れた携帯電話がブルブルと震える度に取り出して、「とじたらロック解除」と 「メール制限解除」のセキュリティナンバー(いずれも4桁)をタイプインし、やっと受信ホルダーに辿り着いたら、待ち構えているメールの替わりにスパム メールのオンパレードだ。本当にムカッと来る。しかも、文句を言って行くところがない。ムーと怒りを胸にしまわなければならない。これは憂鬱だ。
 先日も、本職であるベンチャーキャピタルに関連する真面目な組織名の差出しで、真面目な内容の文面(英語)にいっぱい画像をダウンロードして下さいとい う構成のメルマガが配信されてきた。このメルマガはよく送られてくるもので、いつもは内容を見ずに直ちに削除していたのだが、今回は世間がお盆休みで受信 メールの数が少なかったので、試しに「配信停止」を返信してみた。すると現れたのは、よく出てくるシステムからの警告文だ。

要するに「返信をするにはコンテンツをダウンロードする必要があり、これを行うと迷惑メールの数が増える可能性があります」という、つまりダウンロードは 危険ですよというシステムからの警告である。こんなのをうっかりダウンロードしたら何が起こるかわからない。試しに、送信アドレスを宛て先欄にコピーして 「配信不要」と送信したら、直ちに「The following addresses had permanent fatal errors」要するに「そういうアドレスはありません」と返信が来た。危険なメールである。今後は自動的に削除済みファイルに入れるように登録をした が、こんな手間を掛けさせられるだけで憂鬱だ。むかーっ×むかーっ!だ。
 次なるネットの憂鬱は、「当メールは、過去に名刺交換させていただいた皆様にBCCでお送りしています……」という書き出しで送られてくる、怪しくはな いが押し付けのメールマガジン類だ。うっかりすると、こういう勝手な都合で送られてくるメールのために重要なメールを見落としてしまうので、押し付けがま しく送って欲しくはないメルマガが多い。中には「重要」という注意書きまで付いている。こっちは興味も無いのに、差出し人が勝手に重要と決めてもらっても 困るというものだ。盆休みの間にこういうものに片っ端から「配信停止」を返信したのだが、「配信停止」を指示する手順がきっちり用意されていないメルマガ も多い。名刺交換で一度入手したアドレスは絶対逃したくないといった送り手の本音が垣間見られて、良い気持ちのしないものだ。「企業の品格が問われます よ。経営者はきっちりチェックしなさい」と申し上げたい。
 また、義理のある人がやっている組織からのメルマガの場合には「配信停止」の指示を返信することさえ気兼ねするものだ。先日も、たびたび送られてくる が、興味が無いので読まずに削除し続けていた、ちょっと義理ある人の会社からのメルマガに、一大決心をして「配信停止」の返信をした。そうしたら直ぐに、 当の義理ある社長から丁寧なお詫びの返信が届いたではないか。どうも自動返信ではないらしく、「西岡さん、ご無沙汰しております。常々ご指導ありがとうご ざいます。配信停止の件畏まりました。大変ご迷惑をお掛けしておりました。今後ともこれに懲りずにご指導下さい。何野何兵衛」とあるではないか! 何野何 兵衛さんには不義理となってしまった。これは大いに憂鬱だ。良し悪しを論じているのではなく、憂鬱なのだ。何野何兵衛さんだって、こんな場合は「知らぬ振 りの伝兵衛」を決め込んでいてくれたら共に気まずい思いをしなくてすむものを……。
 ああーっ、ネットは憂鬱だー!

Be innovative! イノベーションは誰にでも起こせる (NBonline「経営新世紀」 2007/07/27)

本連載第3回「メールの効用」で、メール仲間の黒川清・内閣特別顧問(日本学術会議前会長)と石倉洋子・一橋大学ICS教授と西岡郁夫の三人で、若いビジ ネスパーソン対象に「イノベーション」に関する鼎談をやることがメールでパンパンと決まった、という話をした。その鼎談の中身に関しては次回で紹介するこ とにして、今回はその鼎談でいろいろ感じた西岡自身の思いを綴っていく。
 まず、イノベーションとは何か?
 シュンペータが論じるようにイノベーションは技術革新に限らない。サービスやマーケティングや資金調達のイノベーションもある。日本企業の競争力を向上 させることを目的として、一橋大学ICSの竹内弘高教授がマイケル・ポーターを口説いて創設したポーター賞の、昨年の受賞企業の中には中古車販売のガリ バーや中古書籍販売のブックオフが含まれる。これらの会社はビジネス・モデル・イノベーションという点から高く評価されたのだ。
 私は歴史上でもっともイノベーティブな人として坂本竜馬が好きだ。列国の経済力や軍事力に対抗するためには、鎖国に拘泥する幕政に終止符を打って市場経 済を導入するべきと、脱藩をしてまで立ち上がったのだから、正に創造的破壊の象徴だと思う。織田信長もクロネコヤマトの小倉昌男さんもイノベーターだ。技 術革新とは無縁なところにイノベーターはいっぱい居る。もちろん、イノベーターとしての大小もいろいろだろう。しかし、大切なことは、そして本稿で言いた いことは「イノベーションはこうした歴史上の大物だけのことではない」ということだ。「誰でもがそれぞれの持ち場でイノベーティブであるよう努力できる」 のだ。そして、小さいイノベーションの積み重ねが社会のイノベーションに繋がる。
 野中郁次郎一橋大学教授は:(前略)「イノベーションの本質は、人間が自分の主体的な思いを貫いて実現するために、全人格を懸けてあらゆる障害を越えて いく、そんな全人的なコミットメントにあるのではないでしょうか。いくらきれいな資料を作って見事な分析をやったところで、だから何なんだ、何をやりたい んだ。こう申し上げたいんですね」(後略)と言っておられる。
 「全人格を懸けて」「全人的なコミットメント」と聞いて臆することはない。「歴史的な創造的破壊だけがイノベーション」と言われているのではない。恋人 を愛するのに全人格を懸けるだろう。会社における自分の小さな所属から「全人的なコミットメント」をもって新製品提案が出来るし、マーケティングプランを 提案できるのだし、この中から歴史的なイノベーションも生まれるのだ。日常のイノベーションの積み重ねがなければ歴史的なイノベーションは生まれない。
 ところで「全人的なコミットメント」の提案は、ネットでデーターを収集したりグラフにしたりしながらパワーポイントでカッコいい提案書類を作ることとは 根本的に違う。かつてインテル時代に、パソコンを普及させるためにパワーポイントの便利さを説いて回った本人としては忸怩たる思いではあるが、最近、自分 自身はパワーポイントを卒業した。いや、むしろクビにしたと言うべきか。パワーポイントは便利だが便利すぎて上滑りになる。大したことのない内容がカッコ だけ良くなる。下らない提案が文字を大きくしたり、色を変えたり、写真を加えたり、効果を付けていると恐ろしいことに内容があるように見えてくる。これは 怖い。部下が鼻歌交じりに作った「全人的なコミットメント」のないパワーポイントの資料を眺めて、それに基づいて文句を付けるだけで全社戦略を策定してい る経営幹部が日本に溢れている。こんな経営幹部に「全人的なコミットメント」はない。
 「全人的なコミットメント」のない部下の提案に「全人的なコミットメント」と危機感のない幹部たちが大企業の戦略を決めていく。これでは日本の大企業からイノベーションが生まれないのは蓋し当然であろう。

社員が燃える新日本的経営(その2) (NBonline「経営新世紀」 2007/07/06)

西岡●では、いまなぜ私たちはこうなのか?今後どうしたらいいのか?ということまで、このパネルでは踏み込まなければならないと思います。
 私自身の反省で言いますと、子供の頃に、母親から「とにかく一生懸命に勉強して良い高校、そうして良い大学に入りなさい。良い大学を出ると良い大会社に 入れて幸せになれるのだから」と言われ続けました。皆さんも憶えているでしょう?でも、良い会社って何ですか?大会社が良い会社ですか?多くの大会社は近 年大規模なリストラをして、かつて優秀な人ばかりを採用しておきながら30年たったら用済みとしてリストラしました。これが私たちを幸せにしてくれる良い 会社ですか?とにかく勉強して、良い大学から大会社に就職するという方程式はもう旧いですよね。
 たとえば、自分の親父が町工場をやっているとします。その子供が学校を卒業して嬉しそうに大会社に入るでしょう。ダサイ親父の工場に入れるか!って子供 だけじゃなく母親も同じように考えている。そういう子供たちが学校で得た知識を総動員して「親父の工場をピカピカの工場にする」と立ち上がってくれるよう な日本人、そういう若者が増えなければダメですね。大量生産、薄利多売に明け暮れる大企業だけでは日本の競争力の低下に歯止めが掛かりません。
 そんな中で、他社が作れないバリューのある商品を適切な利益を戴いて商売する「新日本的経営」のサンプルとして、先ほど、東海バネ工業の話をしました。 こういう商売の仕方はイタリアに結構多くあるのです。日本人の好むハイブランドのファッションでもイタリアは独壇場ですね。彼らは大量生産をしません。典 型的な例として、イタリアで有名なドズヴァルドの生ハムの話をします。この話の詳細を知りたい方は内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ両氏の著書『イ タリア人の働き方』(光文社新書)をお読み下さい。この本には他にもイタリアらしい働き方が紹介されています。いい本ですよ(この部分の講演の詳細はhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070619/127767/)。
 ドズヴァルドの生ハムの話で私が申し上げたいのは「商品のバリューを維持するためには大量生産はしない。お客様に評価される価値には希少価値、なかなか 手に入れられないモノへの憧れもある」ということです。ドズヴァルドは大切な美味しい生ハムを作るには良い空気が大切だから、生ハムを吊るすのに邸内で一 番広い大広間を使いました。その部屋に吊るせる生ハムが1500本だったのでそれ以上は作らなかったのです。
 こんなことが今の日本の大企業で起こったらどうでしょう。まず工場の増設ですよ。1万、2万と増産に次ぐ増産で、ついに10万本まで作ったら、お客さん がゲップをして売れ残ります。それはそうです。いまどき巷に溢れているものを買おうとは思いません。さあ、売れ残ったら今度は3割引から半額で投げ売りで す。自分が一生懸命作った商品を、自分の足で蹴飛ばして値段を下げているようなものです。大量生産、薄利多売で利益の出ない商売ばかりしていて、社員を8 万人も雇える時代は終わりました。社員が8万人ということは家族を考えると二十数万人くらい飯を食わせなければならない。あんな利益では無理ですよ。だか ら我々も大企業に頼っていてはダメなのです。
常盤●そうですね。価値のあるものを作れとか価値の創造と言いますね。価値って何でしょう。これには価値があるといくら言ってもお客さんには伝わりませ ん。価値は価格で表さないと表現できません。その価格でお客さんが買ってくれれば、確かにそれは価値がある。価値を値段で正確に表現して初めて価値がある のかないのか、お客さんと対話が成立するわけですね。つけた値段よりも価値が少なかったら買ってくれません。価値にふさわしい値段がついていれば買ってく れます。
 先ほどの話の続きですが、10万本作ったら売れなくなった。じゃあ仕方ない、半額にするかと言って叩き売ったら、自分が作った価値を自ら否定してしまい ますよね。作った社員のプライドはめちゃくちゃだし、やる気をなくします。価値をちゃんと評価してくれていないからです。このようなことを繰り返している 仕組みを直さないといけませんね。価値とはそういうことなんです。
 中小企業の中には大企業と違う、価値を大切にする立派な企業が沢山ありますね。たとえば東京に北嶋絞製作所という会社があります。大きな丸い円盤から絞 りという技術で色々なものを作っています。その社長さんは「私は一度も値段で妥協したこともないし、その値段では買えないと言う人もいない」と言っていま した。豊橋にも西島という会社がありますが、その社長さんも言っていました。自分が作ったものに対して誇りを持っていますね。
 先ほど仕事のやりがいとか「生きることと仕事を重ね合わせよう」と抽象的に言いましたが、そういう人たちはそれをちゃんとやっているんですよね。その社 長さんが「我々は腕に自信がある。作るものにも価値がある。その代わり、我々はお客さんに頼まれてできないものはない」と言うので「なぜできないものがな いんですか?」と聞くと「できるまでやるからできないものはない」と言われるんですよ。この根性がジンときますねー。ああ、これが仕事だなーと思います ね。そんなことは中小企業だからできるんだろうと言う人もいますが、そんなことは決してありません。
この前もテレビで『マツダの逆転劇』とかいうタイトルの番組を見ました(2007年5月13日放送 NHK『経済羅針盤』)。マツダがフォードと組んだと き、最初はフォード勢が威張っていたが、いまではフォードの業績が悪くてマツダが元気を取り戻している。マツダも苦しい時には工場を閉鎖するところまで落 ちてしまったけれど、社長の指導力で「素晴らしいエンジンを作ろう、いい車を作ろう!」と社員が燃え上がって、会社全体が盛り上がっていまの状況まで立ち 直った姿を放送していました。まさに夢や思いが凄いエンジン、凄い車という自分たちが誇れるモノになっていって人は素晴らしい仕事をするんですね。
 マツダの社長さんにも感心しましたが、社員もすごいなと思いました。自分たちにはお金がないから、知恵を出そうと。素晴らしいロータリーエンジンを開発 した話は前にも聞いたことがありました。それを作らせて欲しいと言ったら、フォードが生産設備の収支計算がどうとか、投資に見合う利益が出ないとかうるさ く言うので、工場の人たちが「よし、いまある設備で一銭も掛けずにやろう」と言って作ったというんです。だから、大とか中とか小とか企業の規模ではないん ですね。それから見ると、まだ大企業は甘いと思います。その甘さからは新日本的経営は出てきません。
 大量生産・薄利多売の対極に、こういう自分でしか生み出せない価値を追求する真摯な企業活動があるということを知るのは大切です。秋葉原やヨドバシカメラに行って安いとか高いとか、それとはまた違うことを大切にしなければいけませんね。
 人自身も人を評価することは難しいと思いますが、いま盛んに実力主義とか成果主義とか人を評価しようとしています。私はこうした成果主義、能力主義に対しては、かなり大きなクエスチョンマークをつけているんですが、西岡さんはどうお考えになりますか?
西岡●私は典型的な日本の会社と、典型的なアメリカの会社という両方の会社に在籍した、その経験から言いますと、本来はやはり実力主義・成果主義は正しい と思っています。ただし、日本の場合、成果主義や実力主義をあまりにも急に採り入れました。日本型経営に自信をなくした大企業が競って無批判に準備不足の ままでアメリカ方式の成果主義をサル真似したのです。準備不足とは「成果の判定方法」です。社員は正確な判定なら文句は言いません。でも、準備不足のまま で「年功序列だからこそ部長になった人」がきっちりした成果目標と判定方法も無いままに始めてしまったのです。年功序列で部長になった人がある日突然、成 果主義の成果を正確に判定できるでしょうか?判定される本人は納得できるでしょうか?ここにゆがみが発生してしまいました。
 インテルでの経験では成果判定は管理職にとってもっとも重要な仕事の1つで、成果を評価する期間は通常業務と重なってまさに地獄です。自分の部下たち全 員と、必ず前年に「あなたの仕事の目標はこれです」と合意し、数値目標を決めます。それが達成できたかを一人ひとりの部下と議論しながら成績に合意を得ま す。しかもたとえば、日本のマーケティングの部長であれば日本の社長とインテル本社のマーケティング統括がマトリクスで成績を付けます。そして両者が合意 しなければ最終成績にはならないし、成果判定でのトラブルは上司にとっても自分自身の成果判定でのマイナス点となります。この位やるから、成績を付けられ た本人も納得できるんです。
 成果主義を採り入れた日本の大会社が、ここまでやっているでしょうか?評価された部下は上司の評価を信用できていますか?彼は年功序列で部長になっただ けじゃないかと思っていませんか?そういう意味で、日本の成果主義は明らかに準備不足です。そして、成果主義はダメだー!日本人には合わないー!と逆走を 始めているのが実情ではないでしょうか。
常盤●なるほど。確かに制度だけ持ってきて、その制度のままただ数字を入れたら評価になるという運用をしようとしていますね。アメリカに限らず、成果主義 や能力主義がちゃんと機能しているところにはそれなりの文化があります。風土があり文化があり、その上の制度なのに、違う文化のところに制度だけ持ってき て合うはずがありません。人というのは大器晩成もありますから、ゆっくり育って大物になることもあります。あまりにも細かいところで評価してしまって潰し てしまうこともあります。人を育てるという意味からいうと、能力主義というのはいかにも短期的な見方だと思います。つまり、企業の決算を1年でやっていた ところを半年ごとだ、四半期ごとだというのに似てる気がします。
西岡●そういう未成熟な成果主義には問題があることは事実でしょうね。
常盤●人は成果主義の中から育つでしょうか?やはり人が育つのには時間がかかります。育ち方も色々あります。人はそれぞれ違うスピードを持っていますね。 それが議論されないまま制度だけ持ってくるとおかしくなります。スコアカードを作って点数をつけても本質的ではありませんね。
 私は、人は集団で働いた時に力を発揮すると思います。評価だ、成果だと言って、個人に焦点を当て過ぎていますが、仕事というのは個人ではできません。昨 日、NHKの『プロフェッショナル』(2007年5月29日放送)にGoogleの社長さんが出ていました。人は優れた個人よりも優れた集団で仕事をする んですね。個人というものを超えて、集団の力が企業の優劣を決めると思います。だからこそ、人は集まるんです。1人よりも集団のほうがより大きな創造性を 発揮することも大切にしなければなりません。個は集団があって初めて機能する一方で、集団は個があって初めて強い集団になります。個と集団は相互作用とい うか1つであるということも考えないといけません。集団の中にはいい人は確かにいます。そういう人は誰が見てもいいし、評価してあげないといけないと思い ます。サッカーでもゴールを決めた人は必ずいます。集団のプレーも大切ですが、ゴールを決めた人は見ていて分かります。
西岡●ちょうどお時間のようです。本日はご静聴をありがとうございました。

社員が燃える新日本的経営(その1) (NBonline「経営新世紀」 2007/06/29)

「IT道具箱」はITに関するお話を綴っていくのですが今回はちょっと寄り道です。
 5月30日にNBonlineの1周年記念行事
http://business.nikkeibp.co.jp/special/0705sem/index.html) があり、その中で花王の元社長・会長を務められ7期連続の増収増益を記録された常盤文克さんと「社員が燃える新日本的経営」というテーマで対談をしまし た。折角ですので、今回から2回はその対談を二人の対談形式そのままで、必要な修正と追加を加えて、臨場感を合わせてお伝えしてみたいと思います。


西岡●私はベンチャー・キャピタル(VC)の社長をしております。VCはご存知のように、将来性のあるベンチャー(VB)に出資する仕事です。中でも私ど もはちょっと特殊なVCで、単にお金だけを出してVBが頑張るのを待つのではなく、VBが頑張り易いようにいろいろ支援します。
 特に、VBが一番助かるのは営業力や量産力を補完してくれる大企業とwin-winで協業できることですから、私たちは私のシャープ時代やインテル時代 に培った人脈を全面的に使って大企業とVBの間のマッチメイクをします。お蔭様で私から大企業の社長にお電話やメールでお願いしますと、少なくとも最適任 の常務取締役事業本部長といった幹部を紹介してもらえます。場合によっては高名な社長自身が直接VBの話を聞いてくれます。こんなすごい人に直接話を聞い てもらえるということで、VB経営者の足が震えている時がありますよ。
 ところが、最近大きな問題があって悩んでいます。VB側は大企業幹部にプレゼンができるということで一生懸命準備してきます。一方、大企業側はたとえ ば、本部長だけではなく、副本部長、部長、課長、係長、一般の担当者と大勢が出てきます。そして、VBが一生懸命話をし出して10分も経つと、幹部以外は ほとんどの人が腐った魚の目のようなドローっとした目になってくるのです。
 技術が大したことがないというのならドロッとしないで、そう言って欲しいのですが、ただドロッとした目で話を聞いています。そんな大会社がいっぱいあり ます。ほとんど全てといっても過言ではないかも知れません。これが一番の悩みです。VBの新しい技術を活用して「よし、一丁やってやろうじゃないか」とい うような意気込みの欠片も無い。ピカッと光る眼をしていない。
 技術を評価する前に、「イヤだなー、また難しい仕事が増えるかも知れないなー」というような顔をしているんです。景気の回復で業績急上昇の報に接するこ との多い今日この頃ですが、大企業の内部では実はむしろ従業員の心の腐敗が進んでいるのではないだろうかと、深刻に心配しています。
 今日は、こういう問題意識の下で、常盤先生とこういうことをどう解決していったらいいのか、日本の経営はいったいどこに行くのだろうか、新日本的経営とはどういうものなのかということを話し合いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
常盤●今日は西岡さんと色々お話しさせていただくことになっておりますが、その前に、私が最近気になっていることをお話ししたいと思います。それは、世の 中が“デジタル社会”と称して社会も企業もデジタルの方向にどんどん傾いていることです。デジタルが悪いという意味ではありませんが、あまりにも傾きすぎ ているのではないか?アナログの方にちょっと針を戻さなければならないのではないか?と考えています。
 たとえば“見える化”とか“測る化”とか、何でも見よう、デジタルの数字で表そうと懸命になっています。しかし、物事とか事象はそもそもアナログです ね。色々なものが混ざっている。そこからデジタルなものだけ引き出して、無理に数字にして見えるようにしてしまう。これはこれでできる限りやったらいいと は思いますが、デジタルで持ってきたものを、いかにも元の本体であるかのような錯覚を起こして、デジタル化したものが一人歩きしていってしまう。
 たとえば会社の評価というものも、売上や利益や株価、あるいは株数と株価を掛けたものが株式時価総額として企業の価値だというように会社を見るように なってきてしまっています。私はデジタル化しなかった部分、つまりアナログの部分に物事の本質が隠れていると思います。いわばデジタル化できなかったアナ ログの部分に、企業の、あるいは社員の最も良質な心というか感性の部分が取り残されてしまっているのではないかと。今日の対談では、この切り落としてし まったアナログの中に、実は仕事の本質があるのではないかということを申し上げたいと思っています。
 お金を中心に物事を考えていくと、デジタルな数字を追うようになる。しかし、その対極には人の心があります。この心の方に中心を置いた企業の経営がある のではないか。つまり、働く人たちの仕事のしがいや仕事を達成した時の喜び、あるいは作った物を使っていただいて感謝された時の喜びを大切にしなければな りません。しかし、こういうことが本当にうまくいっているのか、私はどうしても気になって仕方がないわけです。
 夢を追いかける時、人は燃えます。いくら株価が上がっても社員は燃えません。この辺のところをこれからの企業の軸にして、人の幸せ、従業員の働く喜びを 尊重しながら、一方でちゃんと利益も上がっているという会社が、中小企業にも大企業にも沢山あります。このあたりが、本日のテーマに掲げられている『新日 本型経営』を探っていく1つの切り口になるのではないかと思っています。
 もう1つ、ビジネススクールやMBAのコースではビジネス戦略から始まって色々なケースを勉強します。これをいいとか悪いとか言うつもりはありません が、そのアプローチの中で、我々は仕事を細かく分析して数字を付け、理屈を付けて、仕事を分解してしまう傾向があります。ビジネスは本来科学ではないの に、科学にしようとして、どんどん細かく解析的にしてしまいます。本来仕事とはアナログであり、もっと包括的にとらえようとか、そこにはお金ではなく人の 心が宿っているということに目を付けなければ、今のビジネススクール的な教育の中には日本的な企業の強さは出てこないのではないかという心配もしていま す。
西岡●常盤さんのお話の中で、中小企業の中に本当にきらっと光る会社があるというお話がありました。以前、私が「すごい会社がありますよ」とご紹介し、常盤さんにも見学していただいて、ご本にも取り上げていただいた……。
常盤●東海バネ工業ですね。
西岡●はい、会場のみなさんにも日本企業の本当の強さを体現する会社の例として東海バネ工業のご紹介をしたいと思います。
 本社は大阪、工場は新大阪駅から近い北伊丹にあります。バネを作る会社です。バネにはコイルバネや皿バネがありますが、ほとんどのバネメーカーは他社の 製品と同じ、特徴の無いバネを大量生産・薄利多売で売るため、バネはコモディティ商品となっています。中には単価が1円を切るものもあるそうです。その中 で、東海バネ工業は、たとえば、皿バネ1つ15,000円あるいはもっともっと高い価値を認められて商いをしています。たとえば、放送用ビデオカメラの開 発技術者が新しいメカを開発したいとき、量産メーカーのカタログには欲しい特性のバネは載っていません。そういう時、東海バネ工業に問い合わせればちゃん と作ってくれるんです。
 しかも、実験用には1個か2個しか必要ないでしょう。そういう微量の特殊なバネを新規に開発するのが東海バネ工業の得意技です。納期もピッタリ合わせま す。原子力発電所や台北の高層ビル101や何トンものプレス機で600万ショット以上を実現しようとすると東海バネ工業にしか適応するバネは作れないと言 われています。よそにないものを新しく開発する。多品種微量生産を得意としているのです。IT経営百選最優秀賞に選ばれるなど経営へのIT活用も活発で、 業績もすこぶる好調です。
 私はここの見学ラインを見てびっくりしました。2人の若者が真っ赤に燃えた太くて長い鉄の棒を炉から火箸で挟んで取り出し、6軸制御という世界でここに しかない制御器に乗せるんです。あとは自動的に巻き取ってすごいバネができます。この職人さんたちが特殊鋼を置いて自動機のスイッチを押しながら私たちの 顔を「Any question?」という顔で見るんです。
 もう少し行くと今度は少し年配の職人さんが、真っ赤に燃えるコイルバネを炉から出してスパナで最後の調整をするんですが、また「Any question?」という顔をするんです。みんな自信たっぷりで顔が輝いています。渡辺社長の偉いところは、職人さんたちに働く喜びを与えていることで す。ああいう仕事をしている職人さんたちは泥まみれ、汗まみれになって働いて、家に帰ったら「ただいまー!!」と言っていると思います。そして奥さんが用 意した晩酌を美味しく飲んでいると思うんです。嫌々ながら仕事をさせられている人間とは全然違うんです。ここの職人さんは「俺が作ったバネが、あのビルの エレベーターを支えている」と使われている現場を知っているんです。さっき常盤さんが言われた、人が光っているし、職場が光っている、そういう例じゃない かと思うんです。
常盤●僕も東海バネの工場を見せてもらった時に感じました。これもアナログの話なんですが、要するに気が漂っているんですね。人って分かりますよね、目玉 が輝いているとか。気とは元気の気ですが、その工場全体に気が漂っている。今、職人さんが素晴らしい腕だというお話がありましたが、それだけでなく、現場 で原料を出し入れしているおじさんの目も輝いていた。原料を出し入れしているだけだけれども、「俺が使っている原料はこんなに素晴らしいんだ」とか「こん なに仕事に苦労があるんだ」と一生懸命説明してくれました。やっぱり仕事の本質はこういうところにあるんだな、これを今の企業は忘れているのではないかと 思います。利益も売上も株価も大切です。しかし、それだけではないだろう。こうやって自分の生き方と働き方、そして自分の人生を重ね合わせて生きていくと いう生き方に新日本的経営の姿があるのではないかと本当に感じました。
 こういう会社は他にも沢山あります。たとえば、豊橋に樹研工業という会社があります。この会社では社長さんが100万分の1グラムの歯車を作るんだと、 とんでもない旗を立てた。そしたら、社員がみんな挑戦するんです。別に大卒の秀才がいるわけではありません。みんな普通の方々で、その工員さんたちがすご い商品を作り出すんです。できたものを見せてもらいました。もちろん見えませんけれど。だいたい100万分の1グラムが見えたら嘘ですよね。ちょっと影が あるので、これだと信じざるを得ないんですが、精度はともかく人ができないことに旗を掲げるということがすごいですね。
 「どうしてこんな小さなものを作るんですか?誰が買ってくれるんですか?」と聞くと、「いや、知らない。俺はこれを作りたいだけなんだ」と社長が言うん です。やっていることをインターネットで発信すると、世界中からお客さんが集まってくるというんです。これだけ細かいことができる会社は素晴らしいはずだ と、特にスイスあたりの会社がすごく注目してくれる。会社の素晴らしさ、技術に惚れ込んで注文が集まってくるというんです。しかし、社長は「俺はこれが嬉 しいわけじゃない。俺は100万分の1の歯車を、普通の工員さんたちが挑戦して作ってくれたことが嬉しいんだ」と言っていてね、これはすごく大切ですね。
  私は最近“コトづくり”ということを提唱しています。“コト”とはリーダーに夢がある、思いがある、こんなことをやろうよと夢を掲げ、社員たちがそれに共 鳴して挑戦する雰囲気です。しかし、それを実現する仕組みや仕掛けがなければ、いくら夢を語ってもしょせん夢は夢のままです。その夢を実現させるような仕 組みを作るのが上手なんですね。そこに集中的に資金を投じる。あるいは、失敗しても、頑張れと背中を押して手を引っ張ってあげるとか。そういう社員を燃え 上がらせる仕組みの中から素晴らしいものが生まれてくるのではないかと思います。
 先ほど東大の宮田(秀明)先生
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070614/127332/) のお話で、創造、創造といくら言ってみてもダメだという話がありました。確かに、会社ではよく「創造性を発揮していこう」と言います。私もだいぶ言ってき ましたが、これは全然有効ではありませんね。創造ではなく、湧き出てこないとダメなんです。“創湧”という言葉、つまり中から湧き出てくる、新しい燃える 価値のような仕掛けを作ること。もう一度繰り返しますと、“コト”とは、夢や熱い思いを実現する仕組みや仕掛けが詰まっている創湧の箱というイメージで す。その箱の中で仕事をしている人たちは素晴らしい。燃えている結果として利益が生まれてくるんです。最初に、儲けようというのではありません。人は本来 持っている素晴らしいものの10分の1も使っていないと思います。しかし、それを上手に湧き出せると素晴らしい会社になりますね。現にそういう会社も沢山 あるんです。

一番優秀な学生はベンチャーを作る (NBonline「経営新世紀」 2007/05/25)

かつてインテルUS本社の幹部会で人事担当副社長がボヤいていた。「一番優秀な学生はベンチャーを作り、次に優秀な学生はベンチャーに就職する。そして、 全然だめなのがインテルのような大会社に来る。困ったことだ」という訳だ。もちろん、主としてIT分野の話である。ところが、99年ころには状況が一変 し、「一番優秀な学生はGoogleに就職するようになった」という。
 先日、私が社長を務めるモバイル・インターネットキャピタルのファンド集会を開いた際、参加者へのサービスとして、いま、インターネット業界で一番旬の テーマである「Googleは何をしようとしているか」をGoogle日本法人の村上社長にご講演をして頂いた。超多忙の村上社長が、「義理のある西岡さ んの要請では断れません」とGoogleの戦略やそれを可能にするGoogleの秘密を楽しく話してくださった。
 ご講演の後での質疑の中で村上社長は、「日本の大学でもIT分野の最も優秀な学生がGoogleに就職する傾向が顕著で、多くの大学教授から、 『Googleが優秀なのをみんな持っていく』と叱られます」と言っておられた。Googleの研究開発センターは世界各地にあり、日本は世界で4番目に 設立された。そこでも最優秀の学生が集まっているということは、世界中で優秀な学生がGoogleに就職していることになる。世界中で最優秀な学生が自分 でベンチャーを起業せずに、ベンチャーから大企業にのし上がったGoogleに就職する。何故だろう?
 答えは決まっている。GoogleにはITの研究開発のための世界最高のファシリティが完備されているからである。それはネットワーク化された世界最大 のコンピュータ・システムだ。世界中のインターネット上の膨大な情報をキーワードに基づいてたちどころに検索するソフトウェア技術を持ち、新技術を研究開 発してユーザーに提供し続けるGoogleは、研究開発に用いる膨大なコンピュータ・システムを低価格で実現するために、全て手作りしているという。膨大 な規模のコンピュータ・システムを構築するのに市販のコンピュータを利用していてはコストも膨大になる。そこで、GoogleはインテルやAMDから旬の 過ぎたマイクロプロセッサーを捨て値で大量に購入して、世界最大規模のサーバーを手作りで構築して活用しているのだ。
 このものすごい規模のサーバー環境は若いIT技術者にとって大いに魅力的な研究環境なのである。最優秀な学生がGoogleに就職するのは高給やストッ クオプションのような報酬だけが理由ではない。どんなに優秀な研究者でも研究環境が貧弱では、本来可能な研究が不可能になり自分の能力を限界まで活かせな い。Googleの研究環境ならどんなトッピで奇想天外な発想でも実現させて、世界中のインターネット・ユーザーを狂喜させることが出来る。他の大企業で は短期に利益に繋がる研究しか、させてもらえないが、Googleなら自由闊達に夢を追わせてもらえる。彼らにとってこれほど嬉しいことはない、世界最高 の働く環境なのである。
 自分のベンチャーを起業するのはGoogleでWeb2.0のインターネットの世界を十二分に体験し、技術のトライアルをして技術力を高め、ビジネス能力を磨き、最適のビジネス・パートナーを見つけてからでも遅くはないのだ。

IT化で街の電柱が喘いでいる (NBonline「経営新世紀」


ヨーロッパを旅することの楽しみの一つは、中世時代の美しくて落ち着いた雰囲気の街を歩くことだ。東京のようにはせかせかしておらず、時間がゆっくり流れ ている。あるとき、「この街は先の大戦で塵芥に帰してしまったはず。旧き中世の街並みが残っているのは何故だろう」とホテルのコンシェルジュで質問したこ とがある。日本人らしい野暮な質問であった。コンシェルジュの女性が胸を張って、「戦後、街の再建に際しては、破壊される前の街の設計図を元に完璧に昔の 街を再現した」と言う。
 彼らは自分たちの街に愛着を持っている。だから、建物には高さだけではなく、デザイン、色にも厳しい制限をみんなで課している。全く同じ色のレンガ、同じ色の屋根瓦しか許されない街は結構多くの国にある。美しい。
 それでいて、ビルの内部の使い勝手は悪くない。私はスウェーデンの首都ストックホルムに良く行くが、旧く見えるビルの内部は設備が完備されており、冷暖房はもとより、高速インターネットの接続も十分に行き渡っている。
 日本はどうだろう。ほとんどの都市で自由奔放にビルが乱立し、デザインや色合いにも統一感が無く、いや統一させようとの気配も無く、街並みとしてのアイ デンティティがまるで存在しないことが通常だ。東京の田園調布は家の転売に際して一区画が小さくならないよう制限して街の美しさを保っている例外的な存在 だろう。
 このことを話し出せばきりも無いし、すでに語り尽されているのに一向に問題解決には向かわない。日本人はこれほどに美意識が希薄なのか、野放図な人種ということか。きっと行政の品格の問題だろう。
 さて、そんな貧しい街並みをもっともっと貧しく、汚くしている原因の一つは電柱だ。あんな無粋で邪魔なものは本来、地中に埋めるべきものだと思うが、我 国では一番安易な方法である電柱が幅を利かす。街中に電柱だらけで景観を壊し、それでなくとも狭い道幅をもっと狭くしている。銀座や丸の内界隈が整然と見 えるのは電柱がないことが大きく貢献している。
 ところが最近、その電柱がどんどんより重装備に、もっともっと無粋になってきている。インターネットの常時接続家庭が急増し、そのためのファイバーが電 柱から家庭に配られる。配線工事会社のトラックが工事をする姿をみなさんもいつもご覧になっていると思う。これによる景観の破壊は大変なものだ。
 電柱というこの知恵の無さの象徴をいつまで温存させるのでしょう。その知恵の無さの象徴が最近のIT化でますます太い配線を縦横に巻き付けられて喘いでいます。

メールの効用 (NBonline「経営新世紀」 2007/03/30)

前稿で、私の交友範囲でメールの返信の速い人たちをご紹介したが、その影響で面白いことが起こった。今回はそのご紹介だ。
 「幹部だからこそメールを」がNBonlineにアップされたとたんに、石倉洋子さから、

『西岡さん、褒めてくれてありがとう。一緒に褒めてもらった黒川さんと私と、褒めてくれた西岡さんとで若いビジネスパーソンを対象にイノベーションをテーマに鼎談でもやらない? 何かアイディアは? 石倉』
と返信があり、このメールがccされていた黒川さんからも、

『thanks for this info Yoko-san, and Nishioka-san, for quoting me.』
と直ちに礼状(黒川さんはいつも英文)が来た。
 石倉・黒川・西岡でイノベーションに関する鼎談が出来れば面白いなー!と思ったので、お二人には、

『考えましょう。問題は最も効果的に影響を与えられる場の演出ですね。新しい丸ビルのオープンに当たってイベントを組みましょうか。ちょっと当たってみます。西岡』
と返信をしておいて、丸ビル東京21cクラブをマネージしておられる三菱地所の田中克徳さんに以下のメールを出した。以下、田中、石倉、西岡のメールによる相談である。

『田中さん、西岡から相談です。日本学術会議前会長で現内閣特別顧問の黒川清さん、一橋大学ICS教授の石倉洋子さんと西岡郁夫で若いビジネスパーソン対 象にイノベーションに関する鼎談をやろうかということになりました。折角やるなら何か影響力のある場を作りたいので、たとえば、新しい丸ビルのオープンに 関連したイベントといったチャンスはありませんか? 西岡』

『西岡さま、お世話になっております。現状考えられますのは:(1)丸ビルホール(最大400名)を移転後のクラブ全体イベント第一弾として7月9日 (月)に押さえております。(2)5月中など、早い時期なら、移転後の新丸ビル10階の21cクラブオープンスペース(100名程度)が確保可能です。取 り急ぎ。 地所 田中』

『田中さん、早速の返信をありがとう。7月9日(月)、丸ビルホールでの移転後のクラブ全体イベント第一弾が最高です。地所の木村社長にも参加してもらいましょうか。西岡』

『西岡さま、7月9日(月)承知しました。開催時間は集客力の高い、17:00~19:00でいかがでしょう? 尚、当日社長の木村は海外出張の可能性が 高く、流動的にお考えいただければ幸いです。企画が固まった段階で、ご相談させていただきたく存じます。当日は、毎年開催しております東京21cクラブの 全体ネットワーキングパーティも夜7時からございます。先生方には引き続きご出席いただければ幸いです。取り急ぎ。地所 田中』

『石倉さん、アイディアが固まりました。新しくオープンされる丸ビルへ移転する21cクラブのイベント第一弾が7月9日(月)に新しい丸ビルホールで開催 されます。最大収容人数は400名です。そこで、最も集客の多い17:00~19:00に黒川・石倉・西岡のイノベーションをテーマにした鼎談を企画しま す。三菱地所もOKです。7月9日は日程を抑えて頂けますか? Kurokawa-san, what about your availability in the evening of July 9th? 西岡』

『西岡さん、石倉洋子です。さすがに話がはやい!と感動しています!ありがとうございます。私は7月9日OKです。 Dr. K, how about you? Can you make it?』
 まあ、ざっとだがこういうプロセスで2日間位の間に大物たちとの鼎談が、しかも前人気の高い新丸ビルでの開催が決められた。関係者がメールをやらない人 たちなら絶対に無理だ。いまどきメールの効用を説くなど時代錯誤も甚だしいと自覚しているが、本当の効用を分かってもらいたい会社幹部もまだワンサとい る。

幹部だからこそメールを (NBonline「経営新世紀」

電子メールが普及する以前は、会社幹部とのコミュニケーションが大変だった。秘書経由だったから、時間が掛かるだけでなく、伝言は“間接話法”になる。伝 言を聞いた幹部が疑問点を秘書に確認しても、秘書は当事者ではないから答えられない。「君、そのくらいのことは確認しておきなさいよ」と言われる秘書もい い迷惑で気の毒だが、世の中の秘書には、いわゆる「虎の衣を借る狐」族が居るから、秘書のご機嫌で取次ぎのプライオリティを下げられたり、最悪の場合には 故意に忘れられたりする危険性まで存在した。ちょっと言い過ぎたかな? でも往時の秘書の顔を思い出して、強く頷いておられる方も多いことだろう。私にも 浮かぶ顔がある。
 それがいまや、社長にも直接メールが飛ばせる。パソコンへのメールを携帯電話に常時転送して、オフィスに居ないときにも直ちに返信するという、私のよう な会社幹部もいまや少なくない。新幹線車内も仕事場の延長で、常にパソコンに向かっているが、仕事の企画や執筆の途中でも携帯電話によるメールは常にオ ン。
 しかも、最近はNTTドコモのFOMAが結構繋がるようになったので、携帯メールだけではなく本格的なPCメールも新幹線車内で頼れる道具になってきて いる。だから、部下や仕事仲間との“直接話法”のコミュニケーションが途切れることは講演中や社外で重要な会議中という止むを得ない場合に限られる。
 直接話法と間接話法の差は単に時間や生産性の問題だけではない。PDCAという経営プロセスにおいて情報は全ての基礎だから、コミュニケーションの質は経営の質を左右する重大事である。
 私の交友範囲でアッという程スピーディに返信を頂ける方々を思い出すままアイウエオ順で列記してみると、石倉洋子・一橋大学ICS教授、伊藤元重・東大 教授、河原春郎・ケンウッド社長、黒川清・内閣特別顧問、小林栄三・伊藤忠社長、佐々木かをり・イー・ウーマン社長、鶴保征城・IPAソフトウェア・エン ジニアリング・センター所長、藤原洋・IRI所長、村上憲郎・グーグル社長、渡辺良機・東海バネ社長などなどだ。とにかく、話が早い。
 メールの重要性を認識して常にチェックをおろそかにしないということだろう。
 昔話はいくら時間が経っても価値が落ちないが、我々のビジネスの話は商材があって、それを支える技術があって、競争相手があって、受け容れる市場があっ て初めて商材の価値が決まる。だから商材の価値は日々移り変わる。鮮度が重要である。だからビジネスでスピードは命だ。
一方、いまだに自分ではメールをやらずに秘書や部下経由の社長さんたちとお付き合いをするのは、これは骨が折れる。ディナーにご招待したときなどのお礼状 を毛筆のお手紙で頂いてしまうと、さあ大変だ! 毛筆のお手紙にメールで返信というわけにはいかないではないか。ワードで文案を決めたあと、使い慣れない 万年筆で書き潰し、書き潰ししながら清書をする羽目になる。メールで頂いたお礼状には間髪を入れずに返信が出来るし、それにさらに返信が来て次の食事会が 決まり、ではAさんもお誘いしましょうかと話が発展する。この「手軽さが話の発展を産む」ことが重要なのだ。
 まだ始めておられない幹部のみなさん、幹部だからこそ話の大きな発展が期待出来るのです。メールを始めましょう。

データベース検索の陥穽 (NBonline「経営新世紀」

このコーナーで連載をすることになりました。毎回、ITや経営にまつわる話題を西岡郁夫流に綴っていきます。宜しくお付き合い下さい。
 第一回目のテーマは「データベース検索の陥穽」とした。その心は?
 いまやパソコンやインターネット無しでは仕事にも遊びにもならない。ほとんどの情報交換は社用もプライベートもe-mailになってしまったのは読者の方々もみなさんご同様だろう。
 私の場合は、新しいベンチャー支援策を考えたり、そのためのイベント案を練ったりという本業だけでなく、執筆、講演の内容作りなどもパソコン無しでは何 も進まない。紙の上にペンを構えても何も考えが浮かんでこないが、パソコンのキーボードに手を置いてWordやPowerPointやメールソフトを開く とテーマに関して何だかんだとアイディアが浮かんでくる。それを思いのまま打っていくと、それに触発されてまた新しいアイディアが出てくるものだ。こうし て出来上がっていく内容を読み返して適当に文章の順番を変えたり、表現を工夫したりと推敲を加えていくとだんだんとアイディアが固まっていく。いまこうし て作っている文章も事前に何か腹案が在ったわけではなく、テーマを決めて心に浮かぶ内容を顕在化していっているのである。
 もちろん、途中で何か情報が欲しくなる。不明確な記憶を確認したくなる。昔なら百科事典を引いたり、最悪の場合は図書館にまで行かなければならなかった 事態である。いまはパソコンがネットに常時接続されているので、すぐにGoogleに入って検索できるし、Wikipediaも強い味方だ。同じ姿勢で必 要な情報がパソコン上に入手できる。こんな便利なことは無い。しかも同じことが新幹線の中でも出来るのだ。
 仕事が捗るのはよいが疲れてもくる。週末はゴルフにでも行くか?と思うと直ぐにブックマークされたHPに入って予約状況を検索し予約をする、友達に誘い のメールを送る、ゴルフ帰りに食事となるとYahoo!グルメで検索して予約となる。多くの読者も日ごろやっておられることだが便利なことこの上無い。
 しかし、待てよ! 世の中には一方的に好いことばかりというのは少ない。諸刃の剣とか好事魔多しとか言うように好いことには悪いことが付きまとう。こんな便利なデータベース検索に落とし穴は無いのか?
 ある。便利なデータベース検索には陥穽があるのだ。
 たとえば、上司から「最近、NTTドコモがおサイフケータイで新サービス開始との新聞報道があったが当社への影響を報告せよ」と命じられたとする。発表 記事を読んでいないと、慌てて新聞を順番に取り出して探し始めることになる。「NTTドコモ、おサイフケータイ、新サービス」とキーワードをつぶやきなが ら紙面を捲っていると「GoogleがYouTubeを買収」との記事が目に飛び込む。「なにー! この方がずっと我が社に影響が大きい」と飛び上がる。と言った経験が無いだろうか。
 このように人間の検索能力は柔軟である。キーワードが一致しなくても、分野まで違っても脳は一瞬に自分の重要情報であることを嗅ぎ付ける。これは現在の データベース検索では出来ない。データベース検索ではキーワードが一致する情報があればマッシグラに直進できるが、キーワードが一致しないと実はもっと重 要な情報でも無視される。スピードは速いが曖昧な情報収集は出来ない。これは危険である。これがデータベース検索の陥穽だ。デジタルの陥穽と言ってもよ い。
 最近の若者は単細胞が多い。先生に教えられ、試験に出ることしか頭に残さない。仕事のスピードは速いかも知れないが、命じられた仕事しかしない。こんなデジタル人間がデータベース検索手法のみに慣れ親しんで、人間らしい情報処理を忘れたら、と想像すると空恐ろしい。
 デジタルで単細胞な高速検索を取るか、アナログで低速だが人間らしい検索を取るか? 答えは二者択一ではなく両者の特徴を理解して使いこなすことである。