2008年2月29日金曜日

IT化で街の電柱が喘いでいる (NBonline「経営新世紀」


ヨーロッパを旅することの楽しみの一つは、中世時代の美しくて落ち着いた雰囲気の街を歩くことだ。東京のようにはせかせかしておらず、時間がゆっくり流れ ている。あるとき、「この街は先の大戦で塵芥に帰してしまったはず。旧き中世の街並みが残っているのは何故だろう」とホテルのコンシェルジュで質問したこ とがある。日本人らしい野暮な質問であった。コンシェルジュの女性が胸を張って、「戦後、街の再建に際しては、破壊される前の街の設計図を元に完璧に昔の 街を再現した」と言う。
 彼らは自分たちの街に愛着を持っている。だから、建物には高さだけではなく、デザイン、色にも厳しい制限をみんなで課している。全く同じ色のレンガ、同じ色の屋根瓦しか許されない街は結構多くの国にある。美しい。
 それでいて、ビルの内部の使い勝手は悪くない。私はスウェーデンの首都ストックホルムに良く行くが、旧く見えるビルの内部は設備が完備されており、冷暖房はもとより、高速インターネットの接続も十分に行き渡っている。
 日本はどうだろう。ほとんどの都市で自由奔放にビルが乱立し、デザインや色合いにも統一感が無く、いや統一させようとの気配も無く、街並みとしてのアイ デンティティがまるで存在しないことが通常だ。東京の田園調布は家の転売に際して一区画が小さくならないよう制限して街の美しさを保っている例外的な存在 だろう。
 このことを話し出せばきりも無いし、すでに語り尽されているのに一向に問題解決には向かわない。日本人はこれほどに美意識が希薄なのか、野放図な人種ということか。きっと行政の品格の問題だろう。
 さて、そんな貧しい街並みをもっともっと貧しく、汚くしている原因の一つは電柱だ。あんな無粋で邪魔なものは本来、地中に埋めるべきものだと思うが、我 国では一番安易な方法である電柱が幅を利かす。街中に電柱だらけで景観を壊し、それでなくとも狭い道幅をもっと狭くしている。銀座や丸の内界隈が整然と見 えるのは電柱がないことが大きく貢献している。
 ところが最近、その電柱がどんどんより重装備に、もっともっと無粋になってきている。インターネットの常時接続家庭が急増し、そのためのファイバーが電 柱から家庭に配られる。配線工事会社のトラックが工事をする姿をみなさんもいつもご覧になっていると思う。これによる景観の破壊は大変なものだ。
 電柱というこの知恵の無さの象徴をいつまで温存させるのでしょう。その知恵の無さの象徴が最近のIT化でますます太い配線を縦横に巻き付けられて喘いでいます。

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