2008年2月29日金曜日

社員が燃える新日本的経営(その2) (NBonline「経営新世紀」 2007/07/06)

西岡●では、いまなぜ私たちはこうなのか?今後どうしたらいいのか?ということまで、このパネルでは踏み込まなければならないと思います。
 私自身の反省で言いますと、子供の頃に、母親から「とにかく一生懸命に勉強して良い高校、そうして良い大学に入りなさい。良い大学を出ると良い大会社に 入れて幸せになれるのだから」と言われ続けました。皆さんも憶えているでしょう?でも、良い会社って何ですか?大会社が良い会社ですか?多くの大会社は近 年大規模なリストラをして、かつて優秀な人ばかりを採用しておきながら30年たったら用済みとしてリストラしました。これが私たちを幸せにしてくれる良い 会社ですか?とにかく勉強して、良い大学から大会社に就職するという方程式はもう旧いですよね。
 たとえば、自分の親父が町工場をやっているとします。その子供が学校を卒業して嬉しそうに大会社に入るでしょう。ダサイ親父の工場に入れるか!って子供 だけじゃなく母親も同じように考えている。そういう子供たちが学校で得た知識を総動員して「親父の工場をピカピカの工場にする」と立ち上がってくれるよう な日本人、そういう若者が増えなければダメですね。大量生産、薄利多売に明け暮れる大企業だけでは日本の競争力の低下に歯止めが掛かりません。
 そんな中で、他社が作れないバリューのある商品を適切な利益を戴いて商売する「新日本的経営」のサンプルとして、先ほど、東海バネ工業の話をしました。 こういう商売の仕方はイタリアに結構多くあるのです。日本人の好むハイブランドのファッションでもイタリアは独壇場ですね。彼らは大量生産をしません。典 型的な例として、イタリアで有名なドズヴァルドの生ハムの話をします。この話の詳細を知りたい方は内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ両氏の著書『イ タリア人の働き方』(光文社新書)をお読み下さい。この本には他にもイタリアらしい働き方が紹介されています。いい本ですよ(この部分の講演の詳細はhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070619/127767/)。
 ドズヴァルドの生ハムの話で私が申し上げたいのは「商品のバリューを維持するためには大量生産はしない。お客様に評価される価値には希少価値、なかなか 手に入れられないモノへの憧れもある」ということです。ドズヴァルドは大切な美味しい生ハムを作るには良い空気が大切だから、生ハムを吊るすのに邸内で一 番広い大広間を使いました。その部屋に吊るせる生ハムが1500本だったのでそれ以上は作らなかったのです。
 こんなことが今の日本の大企業で起こったらどうでしょう。まず工場の増設ですよ。1万、2万と増産に次ぐ増産で、ついに10万本まで作ったら、お客さん がゲップをして売れ残ります。それはそうです。いまどき巷に溢れているものを買おうとは思いません。さあ、売れ残ったら今度は3割引から半額で投げ売りで す。自分が一生懸命作った商品を、自分の足で蹴飛ばして値段を下げているようなものです。大量生産、薄利多売で利益の出ない商売ばかりしていて、社員を8 万人も雇える時代は終わりました。社員が8万人ということは家族を考えると二十数万人くらい飯を食わせなければならない。あんな利益では無理ですよ。だか ら我々も大企業に頼っていてはダメなのです。
常盤●そうですね。価値のあるものを作れとか価値の創造と言いますね。価値って何でしょう。これには価値があるといくら言ってもお客さんには伝わりませ ん。価値は価格で表さないと表現できません。その価格でお客さんが買ってくれれば、確かにそれは価値がある。価値を値段で正確に表現して初めて価値がある のかないのか、お客さんと対話が成立するわけですね。つけた値段よりも価値が少なかったら買ってくれません。価値にふさわしい値段がついていれば買ってく れます。
 先ほどの話の続きですが、10万本作ったら売れなくなった。じゃあ仕方ない、半額にするかと言って叩き売ったら、自分が作った価値を自ら否定してしまい ますよね。作った社員のプライドはめちゃくちゃだし、やる気をなくします。価値をちゃんと評価してくれていないからです。このようなことを繰り返している 仕組みを直さないといけませんね。価値とはそういうことなんです。
 中小企業の中には大企業と違う、価値を大切にする立派な企業が沢山ありますね。たとえば東京に北嶋絞製作所という会社があります。大きな丸い円盤から絞 りという技術で色々なものを作っています。その社長さんは「私は一度も値段で妥協したこともないし、その値段では買えないと言う人もいない」と言っていま した。豊橋にも西島という会社がありますが、その社長さんも言っていました。自分が作ったものに対して誇りを持っていますね。
 先ほど仕事のやりがいとか「生きることと仕事を重ね合わせよう」と抽象的に言いましたが、そういう人たちはそれをちゃんとやっているんですよね。その社 長さんが「我々は腕に自信がある。作るものにも価値がある。その代わり、我々はお客さんに頼まれてできないものはない」と言うので「なぜできないものがな いんですか?」と聞くと「できるまでやるからできないものはない」と言われるんですよ。この根性がジンときますねー。ああ、これが仕事だなーと思います ね。そんなことは中小企業だからできるんだろうと言う人もいますが、そんなことは決してありません。
この前もテレビで『マツダの逆転劇』とかいうタイトルの番組を見ました(2007年5月13日放送 NHK『経済羅針盤』)。マツダがフォードと組んだと き、最初はフォード勢が威張っていたが、いまではフォードの業績が悪くてマツダが元気を取り戻している。マツダも苦しい時には工場を閉鎖するところまで落 ちてしまったけれど、社長の指導力で「素晴らしいエンジンを作ろう、いい車を作ろう!」と社員が燃え上がって、会社全体が盛り上がっていまの状況まで立ち 直った姿を放送していました。まさに夢や思いが凄いエンジン、凄い車という自分たちが誇れるモノになっていって人は素晴らしい仕事をするんですね。
 マツダの社長さんにも感心しましたが、社員もすごいなと思いました。自分たちにはお金がないから、知恵を出そうと。素晴らしいロータリーエンジンを開発 した話は前にも聞いたことがありました。それを作らせて欲しいと言ったら、フォードが生産設備の収支計算がどうとか、投資に見合う利益が出ないとかうるさ く言うので、工場の人たちが「よし、いまある設備で一銭も掛けずにやろう」と言って作ったというんです。だから、大とか中とか小とか企業の規模ではないん ですね。それから見ると、まだ大企業は甘いと思います。その甘さからは新日本的経営は出てきません。
 大量生産・薄利多売の対極に、こういう自分でしか生み出せない価値を追求する真摯な企業活動があるということを知るのは大切です。秋葉原やヨドバシカメラに行って安いとか高いとか、それとはまた違うことを大切にしなければいけませんね。
 人自身も人を評価することは難しいと思いますが、いま盛んに実力主義とか成果主義とか人を評価しようとしています。私はこうした成果主義、能力主義に対しては、かなり大きなクエスチョンマークをつけているんですが、西岡さんはどうお考えになりますか?
西岡●私は典型的な日本の会社と、典型的なアメリカの会社という両方の会社に在籍した、その経験から言いますと、本来はやはり実力主義・成果主義は正しい と思っています。ただし、日本の場合、成果主義や実力主義をあまりにも急に採り入れました。日本型経営に自信をなくした大企業が競って無批判に準備不足の ままでアメリカ方式の成果主義をサル真似したのです。準備不足とは「成果の判定方法」です。社員は正確な判定なら文句は言いません。でも、準備不足のまま で「年功序列だからこそ部長になった人」がきっちりした成果目標と判定方法も無いままに始めてしまったのです。年功序列で部長になった人がある日突然、成 果主義の成果を正確に判定できるでしょうか?判定される本人は納得できるでしょうか?ここにゆがみが発生してしまいました。
 インテルでの経験では成果判定は管理職にとってもっとも重要な仕事の1つで、成果を評価する期間は通常業務と重なってまさに地獄です。自分の部下たち全 員と、必ず前年に「あなたの仕事の目標はこれです」と合意し、数値目標を決めます。それが達成できたかを一人ひとりの部下と議論しながら成績に合意を得ま す。しかもたとえば、日本のマーケティングの部長であれば日本の社長とインテル本社のマーケティング統括がマトリクスで成績を付けます。そして両者が合意 しなければ最終成績にはならないし、成果判定でのトラブルは上司にとっても自分自身の成果判定でのマイナス点となります。この位やるから、成績を付けられ た本人も納得できるんです。
 成果主義を採り入れた日本の大会社が、ここまでやっているでしょうか?評価された部下は上司の評価を信用できていますか?彼は年功序列で部長になっただ けじゃないかと思っていませんか?そういう意味で、日本の成果主義は明らかに準備不足です。そして、成果主義はダメだー!日本人には合わないー!と逆走を 始めているのが実情ではないでしょうか。
常盤●なるほど。確かに制度だけ持ってきて、その制度のままただ数字を入れたら評価になるという運用をしようとしていますね。アメリカに限らず、成果主義 や能力主義がちゃんと機能しているところにはそれなりの文化があります。風土があり文化があり、その上の制度なのに、違う文化のところに制度だけ持ってき て合うはずがありません。人というのは大器晩成もありますから、ゆっくり育って大物になることもあります。あまりにも細かいところで評価してしまって潰し てしまうこともあります。人を育てるという意味からいうと、能力主義というのはいかにも短期的な見方だと思います。つまり、企業の決算を1年でやっていた ところを半年ごとだ、四半期ごとだというのに似てる気がします。
西岡●そういう未成熟な成果主義には問題があることは事実でしょうね。
常盤●人は成果主義の中から育つでしょうか?やはり人が育つのには時間がかかります。育ち方も色々あります。人はそれぞれ違うスピードを持っていますね。 それが議論されないまま制度だけ持ってくるとおかしくなります。スコアカードを作って点数をつけても本質的ではありませんね。
 私は、人は集団で働いた時に力を発揮すると思います。評価だ、成果だと言って、個人に焦点を当て過ぎていますが、仕事というのは個人ではできません。昨 日、NHKの『プロフェッショナル』(2007年5月29日放送)にGoogleの社長さんが出ていました。人は優れた個人よりも優れた集団で仕事をする んですね。個人というものを超えて、集団の力が企業の優劣を決めると思います。だからこそ、人は集まるんです。1人よりも集団のほうがより大きな創造性を 発揮することも大切にしなければなりません。個は集団があって初めて機能する一方で、集団は個があって初めて強い集団になります。個と集団は相互作用とい うか1つであるということも考えないといけません。集団の中にはいい人は確かにいます。そういう人は誰が見てもいいし、評価してあげないといけないと思い ます。サッカーでもゴールを決めた人は必ずいます。集団のプレーも大切ですが、ゴールを決めた人は見ていて分かります。
西岡●ちょうどお時間のようです。本日はご静聴をありがとうございました。

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