2008年4月11日金曜日

アレキサンダー大王とEngineering

一昨夜、BSのHistory Channelで"Engineering an Empire”というテレビを偶然見ていてびっくりした。まず紀元前に大帝国を作ったアレキサンダー大王を語る題目に“Engineering”という言葉があるのに大いなる興味をもってしまったのだ。当方もDr, of Engineeringつまり工学博士の端くれなので「アレキサンダーとEngineering」という取り合わせが気になったというか、引っ掛かったのである。
高校時代に世界史を選択しなかった自分にとってアレキサンダー大王に関する知識は
① マケドニアから発してギリシャを征服した
② ギリシア軍を率いて東方に遠征し、ペルシャ、エジプトを征服後インドにまで遠征して途中急逝した
というまったく興味の湧かない史実のみである。
ところが、このTVをみてびっくりした:
アレキサンダー軍があんなに強かったのは「Engineeringを活用したためだ」ということである。まず、武器だ。父親フィリッポス2世も、敵軍の何倍も長い槍を持たせた歩兵部隊を四角い軍団にまとめて敵軍目指して押し出したり、手動が当たり前の弓矢を機械式に変えて飛距離と殺傷力を飛躍的に高めて当時の世界最強軍を作り上げ、ギリシャ制服を果たしたらしいが、父を継承したアレキサンダーはそれをもっともっと徹底したという。アレキサンダー大王行く所は常にEngineering Groupつまり技術団が付き添い、勝つための新しい武器、勝つための補助手段を考案して実行していったという。
紀元前300年代にである。たとえば、強大な海軍を擁するペルシャ軍の小島上の要衝(TVで島の名前を言ったが忘れてしまった)を攻めるとき、海に出ると強大な海軍に攻められるので、技術団は島に長さ1km幅60mの道を築き、要塞から矢を射かけるペルシャ軍に対して、「動く弓矢台」とでも言うべき6階建てくらいの移動式要塞を作り、小島の要塞に上から矢を射かけて敵をせん滅したとういう。
我々技術者は、たとえば、会社の新規事業を実現するために新製品や新素材や新製法を考案する。到達すべき目標に対して現状を分析し、問題点を明確にし、前提条件を明確にし、競争相手の実情を知り、それを超える技術や方法を考案し、試作し、実験し、問題点を改善し続ける。アレキサンダー大王の技術団もほとんど同じ思考方法を駆使したのだろう。しつこく言うが、紀元前300年代にである。大変感銘深い番組であった。

関連して印象に残った話が二つある。
① フィリッポス2世もアレキサンダー大王も征服したギリシャを蹂躙せず、むしろ、ギリシャ文明を敬い自分たちがその文化に同化しようとしたという。征服したペルシャでも部下とペルシャ人の集団結婚を奨励し、ペルシャ風礼式を取り入れ、代官にも現地有力者を任命したという、この包容力が東西融合のヘレニズム文化を産んだ。
② こうしてEngineeringが重要な意味をもったヘレニズム文化が勃興した当時、エジプトでは、すでに蒸気機関の原型が発明されていたという。にも拘らず、蒸気機関の実用化が18世紀の産業革命までまたなければならなかった理由は、当時のエジプトでは人件費が極端に安く、幾らでも人力を使えば良かったために蒸気機関の需要が見つからなかったからと言う。必要は発明の母なり。
面白い番組でした。

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